魔女車掌サリーナの狂乱-3
4
「パパ! パパっ! パパぁ!」
見舞った獄中(駅の拘留施設)で親子の因縁の再会に、サリーナは狂乱狂気した。
ハンドルを回して手についた鎖で吊るし上げ、ナイフで服を全部破って剥ぎ取る。
「パパ、会いたかった!」
娘は肉親への慕情に目に涙を浮かべている。
必ずしも憎いだけでなく、再会できて純粋に嬉しかった。しかしその碧眼にはアンビバレンツな感情と狂気がある。
「私のことは聞いてる?」
「ああ」
ロシア人の小太りで髭を生やした中年男は、無様なパンツ一丁で娘に吊るされながらも、恐怖よりは娘に会えた喜びが勝っているようで、どこか優しい目をしていた。
「すまなかったなァ。まさかあんなことになるとは」
彼とて日本の現地妻と娘のことをまったく考えなかったわけではない。
ただ、スパイという非合法で危険な立場上、あまり日本に長居しすぎることは危険でもあった。偽装と憂さ晴らしのつもりで日本人の女性と結婚したところ、思いもよらず子供が出来てしまって、上司に願ってズルズルと滞在を延長しつづけてきた事情があった。
しかしもし逮捕でもされれば自分の立場だけでなく、必ず家族も巻き添えになる。自首して亡命を希望することも考えて散々に悩んだのだけれども、現地妻(サリーナの母)が交通事故で亡くなったために、結局は祖国のロシアに自分だけ帰ることにしたのだ。「まさか」とは思いつつも、ロシアの諜報員が手を回して(邪魔者として)始末してしまった疑いが拭えなかったから、そのままでは娘のサリーナにまで危険が及ぶ惧れもあった。
そこで蓄えてあった学資や生活費の貯金を残し、知人や母方の親族に娘のサリーナのことを頼んで、密かに自分だけロシアに密出国したのである。
だが予想外にもサリーナは大暴走し、そのことを知ったときには後の祭りだった。
ずっと怖れて怯えていた、祖国ロシアへの裏切り者の汚名や強制収容所送りはなんとか免れたものの、結局はウォッカを飲んで冬の路上で野垂れ死んだ。
彼は飲んだくれて冬の街角で「凍死()」する前に
「俺の娘が死んだんだッ! お国のために働いた俺のせいで娘のサーシャが死んだんだ! 飲んで悪いか! 収容所送りでも何でもしやがれ、俺の娘を返しやがれっ!」
などと通行人に絡んでいたとか。
ロシアの中年男は、今は敏腕諜報員ではなく、ただの父親に戻っていた。
「すまなかったな、サリーナ。こんなはずじゃなかったんだ」
目に涙を浮かべるパパに、娘は病的なまでに無邪気な笑顔を咲かせた。色んな意味の喜びで感情の針が振り切れ、サリーナは精神のメンタリティが完全にハイになってぶっ飛んでしまっているようだ。
「いいのっ! 愛してるわっ! パパァ!」
サリーナは目をギラギラさせて渾身の力で鞭を振るう。それは特製品で、ただの玩具ではなく、内陸アジアのコサック兵の伝統的な戦闘用鞭をモチーフにしている一級品。
「うおっ!」
強烈かつシャープな一撃だったけれども、それでもロシアンパパは笑みを浮かべた。小さな子供と遊ぶときにわざと大げさにやられて見せるようなものだ。
かつて東欧に任務で潜入して捕まった際の苦労や拷問に比べたら、こんなものは猫に舐められたくらいのものでしかない(有刺鉄線や高圧電流に比べたら)。
しかもやっているのは生き別れた愛娘のサーシャなのだから、むしろ家族での触れ合いの一環でしかなかった。これもまた家族愛の延長なのだ、ロシア式の。かつて古い時代に家族同士で党の敵を密告しあっていたことを思えば、どれだけのどかであるかわからない。
(小さい頃から粗暴で横着だったよなぁ)
ロシアンパパはサリーナが小さいときに、近所の凶暴な野良犬を面白半分に石で殴り殺してしまったことを思い出していた。幼き夢は家族でライオン狩りと熊を飼うこと。
「あとでママの遺影も持ってくるね。ママの分まで懲らしめてあげる!」
「ああ、そうだな。それがいいかもしれん」
あえて拒否はしない。酔って今亡き妻を殴ったりもしたし、かなり苦労もかけたのだ。
とはいえ、何度も叩かれたら痛いことには変わりがない。
(これは、あのとき一緒につれて帰ってKGBに推薦した方が良かったか? ひょっとしたら訊問担当とかで出世したかもしれん。あのとき日本に残していくより、そっちの方がまだ良かっただろうか? 今頃そんなことを考えても、もう過ぎたことだが)
歓喜のパッションで鞭打つわが娘に、ロシアンパパはそんなことをふと思った。
「パパ、何考えてるの?」
「昔のことさ。家族で、日本での生活は良かったなーとか」
「ママのことも?」
「ああ」
ロシアンパパは遠い目をしている。かつての仮初の平穏と幸福を反芻するように。
するとその言葉でサリーナもふと優しい笑顔になる。
「だったら、とってくるね! 写真があるの! パパ、大好きっ!」
ハーフの娘は戸口で投げキッスして、ママの写真をとりに訊問部屋を飛び出して行った。
ついでにペニスバンドまで持ってくるとは、流石のロシアンパパも想定外だった。