亡き妹アヤへの手紙日記(前編)-1
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ラッシュを過ぎた休日の晩、二宮リクは地下鉄の駅で、そんなところにいるはずのない妹のアヤに出会った。
それはちょうど大学のサークルの会合からの帰りだった。
世の中一般では大部分の大学のサークルなんて(奨学生で溢れたセミプロじみた運動部以外)、飲み会と痴情のための口実くらいにしか思われていないし、そういう連中も少なくはないだろう。しかも最悪の場合には、おかしなカルト宗教やら左翼団体やらが、もっともらしい顔で新入生リクルートしていることまで往々にしてある。
それでもそこそこ真面目にまともな活動をしているような手合いもいないわけではない。
同じような趣味や勉強・将来の志を持つ若い者たちには、そういう友人仲間の集まりはやはり必要なのだから。リクの場合には外国文学・語学の研究会(通称・外文研)だった。
幾ら入学試験に受かっても、しょせんは親に学費その他を払わせている身分なのだから、多少は真面目に勉強くらいするべきだと思ってもいた。それに欝や精神衰弱が酷いきらいがあったから、どうにかして通学するための動機づけの意味もあった。
(あとで、また「手紙」を書かなくっちゃ)
ふとそんなことを思う。
なにせ今日は珍しく見舞いにお手製のカップケーキを持って訪れてきたサークルOBの先輩と、居合わせた皆で部室でいろいろと貴重なお話を拝聴できたのだ。まだ社会人二年目なのだそうだが、在学中の後輩がいることもあってなのか、たまに顔を出すことがある。
「あんまりいつまでも学生気分でいちゃダメなんだけどね。そろそろ新入生の新しい子が入った時期だし、図書館覘くついでに、なーんて魔が差しちゃったわけ」
そんなことを言いながら、OGの斉藤ハルカ女史は香りの良いロングヘアーを掻いてリクれたように言っていたものだ。
以前に今の部長から聞いていたところでは相当な才媛なのだそうで、唐突にお目にかかっても想像とあまり違和感がなかった。ただ、雰囲気は洗練された印象なのに、物腰がどこか全体的にホンワカした感じで、親しみやすさを感じさせたけれども。
「去年の暮れのOB会でも他のOBやOGの人たちから、「お前は部長だったんだから、そのうちまた様子見てきてやれ」なんていわれてたし」
こうしてたまに卒業生がやって来て助言や相談に乗るのは部の伝統なのだとか。それからサークルのOB・OG同士でも専用のインターネット掲示板があり、たまに希望者同士で集まったりもするようである(少人数のアットホームなサークルのようだ)。
ともあれ、ビジネススーツが似合う、都会風の知的な女性というのは、地方の田舎の町で育ったリクにとってあまり縁がなかったせいなのか、それだけで少しのぼせてきそうだったことは白状しておくべきなのだろうか?
(素直に「斉藤先輩は綺麗だった」とか手紙に書いたら、アヤに怒られるかな?)
ふとそんな風にも思う。
リクの「妹」のアヤは潔癖というか、妙に嫉妬深いようなところがなくもない。
その件は省略した方が無難だろうか。
ちょっとだけ真剣に考えて、少しだけ虚しく馬鹿らしくもなった。
ともあれ地下鉄を待ちながら、どんなふうに、届くわけでもない「手紙」を書こうかと考えていたわけだ。
実際に切手を貼って送るわけでもない、しょせん「手紙の体裁の日記」なのだけれども。
(我ながら、けっこう変な趣味だよなあ)
亡き妹に宛てた手紙に見立てて日記を書く。そこだけ見れば偏執狂の性癖と思われても仕方がないだろう。けれどもそれなしにはやっていけなかったし、それで幾分か気持ちが軽くなって落ち着くのだから仕方がない。以前に見て貰った心理カウンセラーも、悪いことではないがのめり過ぎないようにと忠告していた。
もう書き潰したノートはゆうに十冊を超えているのだから、とっくに気違いじみている自覚はあるけれど、どこか病んだような習慣を止めることができないでいる。心のどこかで、妹のアヤがそれを求めているように思うからだ。
さっきの大学での出来事と相まって、少しばかり眩暈がしそうだった。
そんな朦朧として、どこか夢見心地だったせいなのだろうか。
ほんの小さなカップで一杯だけ乾杯しただけだから、とっくにホロ酔いなど醒めているはずだったのに。
あるはずなく、いるはずのない姿を見つけてしまったのは。
(アヤ?)
プラットフォームで電車を待つリクの傍に影のように音もなく歩み寄ってきたのは、妹のアヤだった。
けれどもそんなはずはなかった。
高等学校の制服が似ているから、きっと見間違えたのだろう。
あまりジロジロ見ては失礼だから、チラリと再び隣りを見遣る。
やっぱりアヤだった。
しかし、そんなはずはない。
ここは東京で、電車や長距離バスで地元に帰るには数時間はかかる。
それに。アヤはとっくに「死んでいる」のだ。