亡き妹アヤへの手紙日記(前編)-2
2
(ついに僕は気が狂ったのだろうか?)
ホッとするような諦感がにわかに襲ってくる。
もしも周囲の迷惑を別にすればこのままおかしくなって、精神病院の真っ白な部屋でアヤの幻影と残りの人生を過ごすのも、あながち悪くはないのかもしれない。
妹の突然の死からもう三年も、酷いノイローゼに苛まれていたのだから。
もっとも、そんな「幸福な発狂」のような歪んだ平穏の結末はおそらくないだろう。一番に欝が酷いときでさえ、その手の幻覚を見ることは数えるほどしかなく、それもたいていは一瞬だけの見間違いだったのだ。
今回もたぶんそうだろうと、もう一度盗み見ると、やはりアヤだった。生前に着ることのなかった高校生の制服を着て、すぐ横に立っている。
(他人の空似とか?)
あまりに継続的な幻覚だの認識錯誤だのは、そうとでも考えるより他はない。
それか、夢でも見ているのか?
ふと、腕に柔らかい衝撃が走る。ハッとすると、懐かしい声が耳を打った。
「お兄ちゃん」
まるで恋人のように寄りかかりながら、アヤが小声で言った。
「オープンキャンパスを見に来たの。今夜はお兄ちゃんと一緒だね」
滑り込んできた列車は、いつもと同じなのにどこか違っていた。
そして車内にはリクとアヤだけしかいなかった。
3
変に独占欲の強い妹のアヤを、生前にはやや邪険にさえしていたかもしれない。本心ではともかく、日常での表面上はなるだけ冷静や無関心を装って「兄の威厳や体裁」を守っていたつもりだ。
そのくせに「好奇心」と称して触れてくるアヤに好きに処理させていた。きっと彼女からすればお見通しで、かえって面白がって調子を合わせていたのか。
だからリクの男の恥部には、アヤの弄り回す手指や舌・唇の感覚が染みついている。
それでアヤは独占欲を満たせたし、リクもそれ幸いと欲情の捌け口にしていた。
(期待してたんでしょ? ちゃんと雰囲気でわかるんだから)
そんな言葉を何度聞いたことか。
日常生活の中で密かに交わしあう視線は、ほとんど淫靡な心理的な前戯のような、不穏でふしだらな探りあいだった。ただの普通の健気な妹としての態度や眼差しの清涼感と、未成熟な牝としての卑猥な偏執の妖しい輝きは複雑に絡まり織れ合っていて、それがアヤなのだった。
きっと兄も妹も、揃って狂っていたんだろう。
それとも幼稚だったのか。きっと精神的に未熟で、欲情の対象を間違えたのだろうか。たとえ異常なことだとわかっていても、お互いに止めようとは思わなかった。
(どうせ世の中だって、狂っているんだ。僕らが狂っていて何が悪いんだ?)
人気のない電車の相席で並んで座りながら、記憶を反芻する。アヤはすぐ隣りで肩をくっつけてもたれかかったまま、黙りこくっている。その手はズボンの膝の上に延びて兄の手をまさぐっている。
(コレは夢なのだろうか?)
リクは改めて考えたけれども、全く判然としなかった。そしてアヤは、探るような気配でクスリと笑ったようだった。いつだって、そんなふうに兄をコントロールしていたのかもしれない。
生きていても、死んでからも。
「二人だけだね。もう、誰も乗ってこないよ」
「うん」
そんな言葉をすんなりと素直に受け入れてしまう。
「しばらく、かかるね。次の駅まで」
「そうなの?」
「そうだよ」
アヤはどこかヒッソリと断定的に呟く。
本当ならば五分くらいしかからないけれど、そんな経験則には意味がない。愛しい幽霊と出会ったのだ。
4
妹は臭いを嗅ぐように吐息を兄のシャツに吹きかけて、直接の行為の一歩手前で親密な触れ合いをジックリ楽しんでいるようだった。そういう時間が一番好きなのだと、そんなふうに言っていたのをふと思い出す。
たいていは親密なスキンシップで甘えてくるのが慣例の合図でもある。
それでペッティングだけで挿入まですることはなく、アヤはたいていはリクを弄りながら自分でした。もちろん何度かに一度、余裕のあるときには濡れそぼった女陰を推しつけることもあったが。
(こんなの、子供の遊びでしょ? でも、コレは私の玩具なんだから、ね?)
愛しく懐かしい声が頭の中でリフレインする。
あの頃、リクを握り締めながら目を逸らして言い訳するように呟くアヤは、どこか狡猾で貪欲な火が目に燃えていた。最後にむせながら、白露一滴までを吸い出して飲み干すほど。
記憶が頭の中を駆け巡って、現実と幻覚の境目が崩壊していくようだった。
とても幸福で、もしも夢なら醒めるのが怖かったし、怪異ならばそのままどこかへ連れて行かれてしまいたい。リクはそう思った。