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『お気に入りの大きな黒い傘』
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『お気に入りの大きな黒い傘』-1

10歳のころの私は、周りの人がそう言うように、ほんの少しだけ変わっていたと思う。十人並というよりは少しトクベツで、個性的というよりは少し平凡。そんな感じ。
本を読むのが好きで、でも国語が嫌いで、父親がいなくて、かわりに猫が二匹いて、勉強がニガテで、作り笑いがトクイ。大人からはだいたい「いい子」と言われた。
それから雨の日が好きだった。お気に入りの大きな黒い傘を持っていくことができたから。毎朝天気予報を見て、降水確率が40%を超えていると、心のなかで小さくにやけた。

 その日は降水確率が60%で、青い傘のマークもしっかり出ていた。私はいつもより少し早めに仕度をして、大きな黒い傘を持って家を出た。そのときはまだ雨は降っていなかったけど、そのことはあまり重要じゃなかった。私が雨の日が好きだったのは、本当にただ傘のためで、べつに(多くの小学生と同じように)雨そのものが好きというわけじゃない。私は自分の身長の半分以上ある傘を、両手で抱きしめるようにしながら、鈍色の低い空をちらちら見上げて歩いた。

 この傘は私には大きすぎて、それに色が黒で女の子っぽくないから、そんな理由でバカにされたこともあった。
 同じクラス、右斜め後ろの席の青田君は、よく私をいじめた。悪口を言うなんてしょっちゅうで、私の算数のテストの点数を覗き込んで「アタマ悪いんじゃないの?」と言ってきたりした。
そんな青田君は私の傘のことを
「女のクセにそんなでかい傘持ってどうすんだよ。まっくろだし、ダッセェ。」
とか。そんな風に言った。
 女の子の友だちはみんな、青田君は私のことが好きなんだよ、ってひそかに噂してた。もちろん私もそのことを聞かされてて、ひょっとしたらそうなのかもって自分でも思った。だからなんだか青田君のことは嫌いじゃなかった。もちろん、べつに好きじゃなかったけど。なんていうか、ほほえましい、そんな風に思ってた。そのくらいの時期の女の子って、男の子よりもずっと大人だったと思う。 でも、お父さんがいなくなったのはそれよりももっと幼い頃だった、確か私がまだ幼稚園に通っていた頃だった。だから「リコン」なんてもののことは全然知らなかったし、べつに悲しくなったりもしなかった。私はお父さんの顔なんてほとんど写真でしか知らないし、お父さんというものがどういうものなのかよく分からない。お父さんが居なくなってから、家にお父さんの痕跡は全くと言っていいほど無くなってしまって、唯一つ残ったのが、お父さんが使っていた、大きな黒い傘だった。お母さんは、はじめその傘も捨てようとしたけど、私があまりにも気に入っていたから捨てられなかっ
た。一つくらい父親の思い出を持たせてやってもいいと思ったのかもしれない。でも、私がその傘に固執してた理由はべつに父親のせいというわけじゃない。ただ単純に好きだったから。少なくともその頃の私はそう思っていた。
 でも、やっぱりその傘からなんとなく「お父さん」を感じていたのかもしれない。

 雨が降り始めたのは、4時間めだった。おなかの中の、かつて給食だったものが、私を心地よくまどろませていたころ。少しだけ開かれた窓から、土っぽい雨の匂いがした。私はぼうっとしながら、窓からグラウンドが斑模様になっていくのを眺めていた。かすかな雨音が耳に優しくて、眠ってしまいそうになるのをこらえようとしていた。でもべつに寝ちゃってもいいか、と思って諦めて目を閉じたころで、先生の声が私の名前を呼んだ。はっとして顔を上げて先生を見る。
「次の問題解いてみなさい。」
と先生は言う。
「えっ、と。」
どの問題だろう、と教科書を慌ててめくりながらどもっていると、先生はわざとらしい溜め息をついた。
「午後だし、眠いのはわかるけど、授業を聞くフリくらいはしとくもんだぞ。」
私は首をすくめて、できるだけ申し訳なさそうに、はぁい、という声を出した。先生はもう一度やれやれといった感じで息を吐いてから黒板のほうへ振り向く。教室のとこどころに小さな笑い声が湧く。右斜め後ろから「ばーか」と言う声が聞こえた。


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