月のトウモロコシ(完)-1
月のデトロイトにも、トウモロコシはすくすくと育っている。
農業プラントの特殊ガラスの天井窓からは、強烈で有害すぎる宇宙光線を濾過した太陽の光が降り注ぐ。地球生まれ植物は実りゆく穂を揺らし、ときにスプリンクラーの雨を体に受けて養われる。
それは月の都市の人間たちに食べさせるためのもの。
そしてホムンクルスたちの、心と体を養うもの。
「うん、いい具合!」
若い穂から一粒を削いで口に含んだアリスは、ついついにっこりしてしまう。
たとえ自分たちホムンクルスが食べるものでなくとも、それは人間の友人たちを養う大切な食物。そして単に「商用作物」というだけではなく、ちょっとした心の交流でもあるのだと思っている。
ホムンクルスたちにとって、飢餓輸出になる危険はない。普通の意味での食物を必要としない彼らからすれば、むしろ作付けによって、対価としてメンテナンスや物資補給を受けられることが大事で(そもそも求めているものや生存条件に差異がある)、それは(月での)人間側との相互の信頼の上に成り立つ関係。そして自分たちホムンクルスを理解してくれる人間たちがいること、それこそが真に重要なのだ。
いつぞや地球からやってきた馬鹿な勘違いホムンクルス(いわゆる「意識が高い」系の)が、畑を燃やそうとした事件もあった。
「こんな農業プラントはアンドロイドやホムンクルスを奴隷労働で搾取するための〜」云々。
それでそのときにアリスはこんなふうに答えた。
「でも、私たち(ホムンクルス)って、その気になったら丸三日くらいまでだったらぶっ続けで眠らず休まず労働しても、なんともないじゃん?
むしろメンテナンスが受けられるのが大事で、もちろん適度なローテーションでクーリング(冷却)や休養できて摩耗を防げたら、それでいいだけだし。それに私、この役目を楽しんでるし」
そいつは今、この畑で働いている。しかも完全に農夫の好青年の笑顔になって、籠に盛ったトウモロコシを捧げて手柄顔でアリスのところにやってきた。どうやら恋愛までしているようで、人生観が急変化したご様子。
アリスは「トウモロコシのスープにして試食してみましょう」と提案し、地球にいる元の彼の保有者の人間に送ってみたらどうかと言ってやった。急に自我に目覚め、ショックで混乱しながら逃げ出した勢いで月にまで密航してきて、最近にようやく登録や移住の手続きが済んだばかりなのだ。
「またお世話になるかもしれないんだし、地球の元所有者さんのところにご挨拶くらいしときなよ」
「恥ずかしいから、あっちに行くときは一緒に行ってくれる?」
二人のホムンクルスはしばし探るようにお互いの目を見つめあっていた。
(Detroit on the Moon「我、人間にあらず」完)