嫉妬-1
そもそも私が妻である美香を他の男に抱かせたいと思うようになったのは、私の異常なまでの嫉妬深さに端を発している。
居酒屋でたまたま隣り合わせになった見ず知らずの客との他愛のない会話にしても、無防備な笑顔を晒け出す妻の横顔になぜか内心腹を立てていたり、仲間内で酒を酌み交わすときでさえ、特段の無礼講があったわけでも美香が常軌を逸した行動に出たわけでもないのに私は密かに許し難い憎悪を心の内に抱えていたりしたものだ。
そんなときは、帰宅後に決まって喧嘩が待ち受けている。もちろん美香にしてみれば喧嘩の理由がわからない。どうして私が怒っているのか、いったい何に対して腹を立てているのか、彼女にしてみればまったく根拠が見当たらない。
それはそうだろう、彼女に一切落ち度はない。根拠は私の胸の内にあるわけだから私が正面切ってそのことを白状しないかぎり彼女には解りようもない。
しかし、私にもプライドがある。とてもそんな了見の狭いことを突きつけられるものではない。
もっともそんな私以上に彼女は賢くて器の大きい女だった。いつしかどこへ行こうとも彼女は最大限の配慮を見せてくれるようになり、私の傍からぴたりと離れなくなっていた。
もちろん嫉妬深い癖に、他の男に自分の女房を抱かせるというのは明らかに矛盾している。
常識的には妻の周りから男どもを排除し、なるべく近づけないようにするのが自然というもの、ちょっといき過ぎではあるが、いっそのこと隔離監視下に置いたりすることのほうがはるかに健全かも知れない。
しかし、いつしか私たち夫婦は、こうして常識に反した秘密の営みを持つようになり、結果として夫婦円満でより刺激的な性生活を手に入れたのだ。
私たち夫婦に子どもはいない。そのせいか、これまではついつい互いのエゴがぶつかり合い、刺刺しい毎日が何日も連続するようなこともあった。離婚話が出たことも一度や二度のことではない。
しかし、いまではもうそのようなことはない。これまで以上に互いを思いやる心が芽生え、さりげのない優しさを上手に纏うことさえ出来たような気がする。
そして、なによりももはや互いの異性への嫉妬、特に私の浅ましいばかりの嫉妬心は跡形もなく消え失せ、それどころかすべてを赦すことからこの営みは始まっているために、浮気の心配それ自体が永遠の彼方へと飛び去ってしまったのだ。
歪んだ愛情確認の仕方だと言われれば、確かにそうなのかもしれないが、少なくとも私たちの愛の絆がさらに深まったことだけは間違いない。
この秘密の営みが生まれたのは、いまからちょうど一年前のある出来事をきっかけとしている。
私と美香は、世界的にも有名な医療機器メーカーの営業部に属した共働き夫婦である。
美香三十二歳、私三十八歳、結婚五年目のつまりは社内恋愛で生まれたカップルというわけだ。
但し、私の職場は都内城西地区を受け持ち、美香の支社は城南地区を持ち場としている。互いに給料の出所は同じでも勤務地は異なる。
しかも異動頻繁な我が社においても美香とはいまだ過去一度も職場を同じくしたことがない。
結婚前もそうだったが結婚後のいまもそうで、勤務先が違う以上、同僚とか上司部下といったイメージは我々にはない。
むしろ互いに別々の会社に勤めているといった感覚のほうが近いのかもしれない。
しかし、その意識を払拭させる機会が年に数回ある。営業部全国連合大会だ。
このときばかりは日本中の支社から老若男女様々な営業マンがここ首都圏に吸い寄せられ、いかに多くの仲間たちが全国に広がっているのかを改めて実感させられる。
もっとも連合大会とはいえ、その実体はただの宴会にすぎない。ベテランにとっては懐かしい面々との親睦会、若い男女の営業マンにしてみれば、合コン感覚で捉えているむきも多いはずだ。
私自身、美香との出会いもここにあって、この場を媒介としていったいどれほどのカップルが日本中に誕生したことか。
もちろん結婚五年目の我々夫婦は、ベテラン組に酒席を置かれ、若い男女の軽快なやりとりを尻目に、ひたすら年長者同士の親睦に努めるのがここ数年の常であった。
ところが昨年のこの夏の大会。よりによって、まさかこの大会が私たち夫婦にこれほどの大きな変革と、そして豊穣の実りをもたらすとは……。
人生とは何とも悪戯で気まぐれなものである。だがしかし、私たちもその時点においてはまさかその後にこのような展開が待ち受けているとは夢にも思っていなかったのだ。
すべては運命の悪戯、すべてはこの夏の夜から始まったのだ。
その日は昨日までの蒸し暑さとは打って変わって朝から妙に風が冷たく、天気予報を聞かずとも雨になるだろうことを予感させた。
折しも午後から雨となり、夕刻が近づくにつれて雨はその勢いを増すばかりだった。
宴もたけなわ外の荒れ模様とは裏腹に、座敷は大いに盛り上がっていた。
不意に妻の様子がおかしいことに私は気づいた。それまでぴたりと私に寄り添い、あちこちに笑顔を振りまいていた美香が、妙に落ち着きをなくしていた。