嫉妬-2
「美香、どうしたそわそわして。下痢でも堪えているのか?」
私は軽く冗談を飛ばし、なに気なく美香の視線の先を眼で追った。そしてそのまま笑い顔を強張らせた。
宴席の向こうから、笑顔を浮かべてこちらに向かって来ようとしているグレーのスーツの男がいた。
脇田だった。脇田哲夫。五年前に城南支社から名古屋に転勤していった男。以前の美香の上司、そして過去の美香の恋人。
一瞬で私の心臓が膨張した。すべては過去のことであり、いまさら思い起こしたところで仕方がないにもかかわらず、私の根深い嫉妬心は、早くも燻り始めていた。
そうこうしている間にも、脇田は親しげな笑みを浮かべ、私たちの前に立っていた。元が東北のほうの出身というだけあって、さすがに私と違って肌が白く、ちょっと女性的な顔だちではあったが、どことなくきりたんぽを連想させるような柔和な雰囲気があった。
「やあ、杉森さん、しばらくでした」
と、脇田は私に向かってにこやかに右手を差し出した。
脇田と私とは、ほぼ同年代だが、職場をともにしたことは一度もなかった。
「やあ、脇田さんしばらく。元気でしたか」
私も右手を差し出して、さも再会を喜ぶかのような笑顔を作った。
「杉森さんもお元気そうで。都会はやっぱりいいですね。なんといってもエネルギーが湧いてきます。たまに来ないといけませんね」
「おいおい名古屋だって立派に都会じゃないか。東京だけが都会じゃないぞ」
互いの手を握り締めたまま、私たちは大きく笑いあった。無論私の胸の内では、フツフツと嫉妬の炎が燻っていたが。
「いえいえ、名古屋なんて所詮都会の部分はこれっぽっち」そう言って、脇田は指先で僅かな隙間を作ってみせたが、私にとっては握手を解くいいきっかけとなってくれた。「一歩裏に行けば、もうそこは田んぼか山ですからね」
二人はまた声を上げて笑った。そうしながらも私は内心隣に立っている美香のことが気になって仕方がなかった。
顔を見てみたいのは山々だったが、見たくないという気持ちもあり、結局まともには見れずにいた。おそらくはにかむような所在なさそうな笑みを浮かべて静かに立っていたに違いない。
その美香に脇田が眼をやった。
「み……いや、奥さんもお元気そうで。いやまったく若々しい。昔とちっとも変わりませんねぇ。やっぱりお子さんがいないからですかね」
「また、相変わらずお上手なこと。て……いや、脇田さんこそぜんぜん昔のまま。そちらもお子さんはまだなんですか?」
「ええ、と言うより女房があまり子どものことを好きじゃなくて……」
他愛のない世間話が二人の間で続いていた。そのやりとりに相槌を打ったり愛想笑いを浮かべながら、私はひとり心のなかで妄想を逞しくしていった。
脇田はつい、『み』と口走った。つまり『美香』と言おうとして思いとどまったのだ。以前親しげにそう呼んでいたように。
そして美香もまた、『て』と言おうとして慌てて名字に置き換えた。美香もまた脇田の名前である、『哲夫』がつい口をついて出そうになったのだ。
いまでも自然に口をついて出る互いに愛し合った頃の親しげな呼び名……。
私はそれだけで胸がか〜っと熱くなっていた。
脇田は私たちの結婚後、すぐに名古屋に異動となり、たちどころに結婚したというのは聞いていたが、どうやら子どもは作らない主義のようであるらしい。
脇田が名古屋に行ったのは、なにも私の出現に起因したわけでも三角関係のもつれからでもない。
純粋に社の異動辞令に従ったまでで、元々私が美香と出会った頃には二人は少し冷めた関係で、私が脇田から恨まれたり妬まれたりするような筋合のものではない。
しかし、私のほうは密かに根に持っている。いや、根に持つほうがおかしいのは百も承知だが、へたに身近にいて多少なりとも素性を知っているだけに、やはりこうして面と向き合うとあまりいい気はしない。
なにしろ目の前でヘラヘラと笑っているこの男は、俺の女房の身体を隅から隅まで知っているのだ。
いまにも弾けそうなほどたわわに膨らんだ乳房も、ふくよかに突き出して上に持ち上がった見事な臀部も、ぷっくらと盛り上がっていて思わず頬ずりしたくなるような恥丘も、その上で妖しくそよぐ僅かに縮れた淫毛も、そしてその下でぱっくりと割れた肉厚ですべすべしたほくろ一つない大淫唇も、それを割ってびらびらと剥き出した卑猥でぬめっとした小淫唇も、その奥で淫汁を垂らしながら獲物を待ち構えている狭くてきつい膣穴も、触れた瞬間ぷりっと露出してしまう敏感で大粒の淫核も、みんなこの男は知っているのだ……。
二人の会話は尚も続いていた。私はおそらく聞いているふりをして顔には笑顔を作っていたに違いない。
しかし、腹のなかは憎悪の炎で煮えたぎり、もはや二人の会話などまったく耳には届いていなかった。
替わって浮かびくるのは、二人の濃密に絡み合った痴態と淫靡な妄想ばかりだった。