母にはなれない-1
鏡の中を覗きこむ。
みごとなまでに不細工な顔をした女。
出っ張った頬骨にはニキビがクレーターのように浮かびあがり、歯並びはがたがただ。
手入れされていない眉は四方八方に伸びて、その下には分厚い瞼が覆い被さった目が虚ろに開かれていた。
瞳は輝きを失い、ただ絶望だけを見つめているようだった。
しかしそんな顔も一度まばたきをしたらすぐに消えていった。
変わりに目の前に現れたのは流行りのラメ入りのアイシャドーをつけ、頬をつやつや輝かせた美しい女だった。
「美沙子っ〜!!」
大声で玄関から自分を呼ぶ賢治の声がした。
「はぁい!!今行きます」
大きな声で返事をする。
急いで巻き髪を手櫛でほぐして、緩やかなカーブにする。
アイロンの電源を切ってから、手首にミスディオールを軽くふりかけた。
玄関へ行くと賢治がもう靴を履いて待っていた。
「美沙子、ちょっと香水きつくないか?お袋香水あんまり好きじゃないんだよ。」
「大丈夫よ、一回軽くプッシュした程度だもの。それにこれ、あなたからもらった物だからとても気に行っているのよ。」
会話をしながらも今日の落ち着いた服に合わせダナ・キャランの靴を履いた。デザインがたまらなく美しく、履き心地がうっとりするほどいいが、値段を知ったときは目玉が飛び出るほどたまげたものだ。
「それなら大丈夫だと思うけどさっ…。まぁ主役の俺らが行ってないと何なんだから早く出発しようぜ。」
駐車場へゆき賢治の車に乗り込んだ。途中の廊下ですれ違った階下の男があまりにも私を舐めまわすように見たものだから、賢治はちょっと怒っていたが、ちゃんと自分の女が美しいという優越感にひたっているようだった。
車の中では賢治は最近はまっている育毛剤の話をした。
「とにかくすごく効くんだよ。使った次の日は心なしか髪が元気なんだ。育毛剤ジプシーを続けてきて本当に色々を使ってきたけどやっとめぐりあえたっていうか…」
きりのない育毛剤の話に少々うんざりしたけれど、賢治の自分のコンプレックスを明るく話せるのは彼ならではの長所だなぁと思った。
「けどそんな気にするほどでもないんじゃない?今スキンヘッドがはやってるみたいだし思い切ってやってみたらどうかしら。」
「冗談じゃないよ。商社マンが商談の時スキンヘッドだったら100%断られるぜ?
まったく美沙子は世間知らずだなー。」
と彼は得意そうに言う。
フォルクスワーゲンの窓から入ってくる風をうけながらバックミラーで惜しむように残り少ない髪をちらちら見ていた。
眉上13、4センチまで抜けきった髪。29歳の若禿が彼の最大の悩みだった。
私は別にはげてようがはげてまいがどちらでも良いと思うのだけれど。
彼の実家の鎌倉までは海沿いの道が続き潮風がとてもここちよかった。
「まったくジジババへの婚約の報告なんてめんどくさいな。わざわざこんな時期にさ。もうお袋も親父も美沙子の事知ってるんだしさぁ。」
「うん、でもおじいさまとおばあさまにお会いするのは初めてなのよ?それにお祝いして頂くんだからいいじゃない」
「ジジババは祝いごとがすきだからな。でも急に呼び出すとは。まぁ俺も美沙子も休み取れてよかったけど。」
彼は最後には笑顔でそう答えたけれど、私はなんだか不安になってもう一度手鏡で化粧を確認した。
さっきの不細工な女はでてこない。結婚間近の美しい女が移っている。大丈夫、口紅もはげてない。
彼の家に着くと彼の両親が待ち構えていた。
「賢治おかえりなさい。美沙子さんいらっしゃい。」
「はいはいー、ってじいちゃんとばぁちゃんは??」
「それが車が調子わるくて出せないらしいのよ。賢治悪いんだけど迎えに行ってもらえない?」
「はぁ?まじかよ?しょうがねーな。美沙子はどーする?」
「えっと、わたしは―…」
「美沙子さんにはちょっと手伝ってほしい事があるからうちに残ってね。」
彼の母親はそう言うとなぜかきついぐらいの笑みをうかべた。彼の父親は険しい顔でさっきから私をにらみ付けている。
なんだろう。
心がざわざわと音を立てる。