苦悶の夜を越えて-1
読みかけの新聞を放り出し、テレビのリモコンのスイッチを入れ、全局目まぐるしく渡り歩いたあげく結局すぐにまたスイッチを切り、そしてリビングの時計にちらと眼をやって私は独り苦笑した。
もう幾度これを繰り返してきたことだろう。妻が帰宅する時刻は端から分かっている。にもかかわらず、私は朝からずっとこの調子だった。
記事の見出しの一行はおろか、見慣れているはずの土曜日午前中のテレビ番組でさえ頭のなかに定着できず、私にはただのうるさいタペストリーにしか映らなかった。
いや、正確に言えば朝からではなく、昨夕妻を送り出してから一晩中ずっとこうだった。
何をするにもまったく手につかないというか心ここにあらずで、とりわけリアルタイムで別々の官能的な夜を送っていたであろう二十三時辺りからの深夜帯は、私にとって最大の苦痛であった。
やはり今夜も私の妻、美香は少女になっているのだろうか。
髪は二つに束ね、可愛らしいリボンででも結わえていたりするのだろうか、それとも今回はポニーテールかひょっとすると三つ編みだったりするのかもしれない。
スカートはやはりデニムの超ミニだろうか、いやそれはあるまい。前回とは趣向を変えてくるはずだ。きっとほとんど尻が丸出しのフレアーか何かだろう。
脚は何だろう。純白のロングブーツか、あるいはスニーカーのようなものだろうか。それに太股丈のカラーストッキングでも履かされているか、あるいは膝上までのニーソックスということも考えられる。
同じ夜、同じ時間帯でありながら、しかし現実として、妻がそんな姿を晒け出しているのは昔の恋人の前であり、私の前に広がっているのはただの妄想だけである。
そのうえ、彼らは夜を徹して官能の海に溺れ、陶酔の波間を漂い続けたに違いないが、私にできることと言えば、夜通し妄想のなかに溺れ、ひたすら孤独の淵で喘ぎながら、独りペニスをしごき続けることしかなかった。
とは言えこの現実を企て、仕立て上げたのは他でもないこの私自身だ。どこにも文句の言えた筋合いのものでもないが、しかし現実を迎えるのはやはりいつだって辛い。
一晩中無間の妄想に溺れ、燃え盛る嫉妬の炎で胸を焦がし、脳を焼かれ、そうやって焼き尽くされながら火炎の海へと落ちていく。
だがしかし、それは私にとっては再び力強く羽ばたいていくための再生へのステップでもあるのだ。
幾度となく大空へと舞い上がっていく不死鳥のように、私にとっては逞しい力を漲らせてくれる言わばエネルギーの源泉にすぎない。
一旦は炎に焼かれ自らを滅ぼしはしても、その後得られる巨大な悦びは何物にも代え難い。
苦悶の夜から抜け出した先には、えも言えぬ陶酔感が私を待ち受けているのだ。