青い薔薇-2
ベッドの中で目を閉じると薄明の光が黄昏色に変わる。そのままじっとしていると、ぼくの瞳の中にあの人が見えてくる。待ち焦がれた足音が聞こえてくる。あの人はぼくが大好きな青い薔薇の色に深く染まったドレスを着て、優雅な細い足首だけをのぞかせながら、ぼくに会いにやってくる。
あの人のハイヒールが床を踏みしめる美しい響き。その音は、自然とぼくの身体を震えさせる。あの人の輪郭はぼやけているのに、ぼくには彼女の体のどんな部分も感じることができる。まつ毛も、唇も、なだらかな胸のふくらみも、腰から脚先にかけてのなだらかな線も、そしてハイヒールに包まれた足の爪先も。
その音はぼくのまぶたの裏が熱くなるほど美しい響きに充ちている。やがてその音は、重いしずくのようにぼくの額(ひたい)に次々と落ちくる。まるで捕らえられた囚人のように鏡の前に全裸で立たされたぼくを拷問しているかのような冷酷で規則正しい雫の滴り。
ハイヒールのコツコツとした音を吸い込んだぼくの胸がざわめき、忘れていた肉惑的な血流が体に甦る。ぼくは下半身の太腿の付け根にあるものにそっと触れた。あたたかく、湿り気があり、堅さを含みはじめたものが撥ねるようにそそり立とうとしている。それはあの人に向けられている………まるであの人が踏み鳴らす足音にひれ伏すように。
あの人の足音は、ぼくに自慰を求める。それはとても自然なことのように思えた。ぼくは自分のものに片手を添える。手のひらで包み込むと弾力のある肉幹がビクンと強ばる。熱を含んだ血流のときめきが懐かしく手の皮膚に伝わってくる。ぼくはずっと自慰をしていない。いや、そもそもぼくは自慰というものがどんなものかわかっていない。いったい何を想って自慰を行うのか。
つるりとした亀頭が戯れるように指に触れる。鈴口から透明の汁が微かに滲み出す。それは想いがこみあげて胸の中がきゅっと絞まる感覚であり、忘れていたものが込み上げる感覚であり、肉体の近いところで精液が泡立つ感覚だった。ぼくはあの人のハイヒールが床を踏む音に合わせるように掌で肉幹を擦りはじめた。
ペニスに手を添えたまま目を閉じる。青い薔薇の花をまとったあの人の姿で瞳の中がいっぱいになる。薔薇の茎には小さな棘が生えている。不思議だった。想い描いたあの人の像のどの部分にも薔薇の棘を感じた。なだらかな肩、柔らかそうな胸のふくらみ、くびれた腰、そしてなめらかな脚の線にも思わず触れたら指先に血がにじむような棘を。
あの人の美しい眉根が微かにひそめられ、口元が冷ややかに微笑んだ。吸い上げたくなるような素敵な唇が脆(もろ)くゆがんだ。薔薇の花びらにキスをするようにぼくはあの人の身体に感傷を想いえがく。
白いあの人の裸体が透明な冷気となってぼくの中をすり抜けていく。あの人の唇が、うなじが、乳房が、腕が、腹部が、陰部が、脚が、足指が、そのすべてがぼくに絡みつくと、あの人に対するぼくの感傷は蕩けはじめる。溶けたガラスのようになった感傷は、ぼくとの境界を失い、色彩を失ったイデアとなってぼくを支配しようとする。
あの人の肉体は、ぼくにとって、とても残酷な慰安と慈愛に満ちている。ひれ伏すべき、美しい肉体の悪魔があの人には宿っている。ぼくは彼女に触れられることなく、皮を剥がれ、臓腑をえぐられ、性器は握りつぶされ、精液は尽き果てるまで搾り取られる。でもそれはなんて素敵な感傷なのだろうと思っている。