キミの裸を描くこと-1
7月に入り、中学生活最後の夏休みも近づいた頃、また沼口から呼び出しがかかった。
「君、美術部員だったよね。絵が描けるんだな」
「はい、そうですが……」
「だったら描いてもらえないか、君自身を」
「私自身を、ですか……?」
そんなことまで求めてくるのか……と恵理子は怪訝に思ったが、このときはまだ沼口が求めるものが何かをわかっていなかった。
「もちろんわかってると思うけど、裸婦画だよ」
一瞬「ラフ画」のことかと思ったが、すぐに頭の中での漢字変換は修正された。沼口の意図を知って彼女は愕然となる。
美術部員の恵理子は、絵画に裸婦というジャンルがあることはもちろん知っている。だがそれが芸術であることはわかっていても、まだまだ見て恥ずかしくなるような年頃だ。
小学校6年生のときに興味を持って図書室で星座の神話の本を読んでいたら、子ども向けの本だったのに挿絵で「ディアナとカリスト」とか「ペルセウスとアンドロメダ」といった神話にまつわる裸婦画が載っていて、思わず赤面してしまったこともあった。それを見た同級生の男子たちが、ただのエッチな絵だと思って面白がっていたのも覚えている。
その頃ほどではないけれど、いまだ美術展に行っても、そういう絵の前はまだ恥ずかしくて素通りしたくなることもたびたびだった。
裸婦画には、そのためのモデルになる女性がいることもわかる。でもそういう女の人って、どうしてそんなことができるんだろう? 彼女自身は恥ずかしくて、いくつになってもとてもできる気がしなかった。
それなのに、彼女自身の裸を描けというのだ。自分が自分の描く絵のヌードモデルになれというのだ。そして、その絵を沼口に提供しろというのだ。
絵を描くのが大好きな恵理子でも、恥ずかしいにもほどがあるような制作活動だった。
「上手に描いてね。はっきり君だとわかるように顔もからだも描くことが、絶対条件だ」
せめて別人に見えるように顔をごまかして描こうという考えは、とうに読まれていた。
「俺が満足できるものに仕上がるまで、描いてもらうからね」
美術部で彼女が主に描いているのは風景画で、人物画はそんなに描いたことはない。ただ彼女の画力は友達もみんな知っているから、時々似顔絵を描いてと頼まれることはある。それでたいてい気に入ってもらえるとはいえ、人を描くのは風景ほど得意なジャンルではなかった。とはいえそんなことも言っていられない。
拒否はできない以上、完成するまでは解放してもらえない。中学最後の夏を、そんなことに捧げないといけないなんて……。