蜜戯-5
昏々と眠り続ける夫のペニスをどれほど弄っても柔らかいまま、けっして堅くはならなかった。わたしは写真の中の女の鞭が夫のペニスに振り降ろされた瞬間、夫が快感の絶頂に達し、射精した憧憬を想い浮かべながら夫のものを握り絞めた。
微かに伝わってくる体温は、夫が放出した精液の生あたたかさのように感じとれた。それは、なぜかわたしの《記憶にない記憶》をくすぐった。わたしが《そういう夫の悦び》を、《夫を痛めつける悦び》を微かに感じたことが不思議だった。そして、夫は、その写真について何も語ることはなく、亡くなった。
写真の中の朧な夫の像がゆがみ、白い靄に包まれ、わたしが感じ取った微かな意識が深い記憶の闇に葬られた。夫が亡くなってからわたしは夫の顔をいつのまにか思い出せなくなっていた。夫婦として三十年間も連れ添ったというのに、いったい夫は、《ほんとうはどんな顔をしていたのか、どんな身体をしていた》のか、喪失した記憶に対する疑問と不安は交錯し、わたしの過去の時間を揺るがしていた。
あのとき、写真の中の女への嫉妬に駆られたわたしは、家の中にある夫のすべての写真を焼き捨て、夫の痕跡を何もかもこの家から消し去った。それと同時にわたしは自分の中にある夫の記憶までも失ってしまったのだった。
「何を考えているのですか。亡くなられた旦那様のことでしょうか」
不意に彼に声をかけられ、我に戻ったとき、わたしは庭に降りそそぐ光を見ていた。雨上がりの樹々の葉に水滴が残っているのを見ていると、なぜか自分の肉体の枯れきった渇きを強く感じた。
「とても素敵な旦那様だったのでしょうね」と彼は何かを考え込むように感慨深げに言った。
「あまり、夫のことは覚えていないのよ。夫婦って、結局、そんなものなのね」
「もちろん旦那様をとても愛していらしたのでしょうね……」と彼は小さくつぶやいた。
今さらそんな問いに答えられる言葉も、感情も、記憶もわたしは失っていた。
「愛していたかもしれないし、そうでなかったかもしれないわ」と笑いながら言うと、彼はそれ以上に夫のことについて尋ねることはなかった。
最初は戸惑った。彼がわたしの入浴の手伝いをしてくれることが。でも、一度、転んでからというもの膝の微かな痛みはなくならず、ときにひどく痛むこともある。ひとりで住むには広すぎるほどの屋敷の浴室は、わたしが一日を過ごす寝室や居間とは反対側にあり、いつも杖をつきながら浴室に向かうときに彼に介助されることはほんとうに助かっているのだが、入浴まで介助されることに戸惑いは隠せなかった。
そんなわたしのためらいをぬぐい去るように彼の指は、いつもより増してわたしの欲望を誘った。彼は脱衣室の椅子にわたしを座らせ、淡々と衣服を脱がせていった。もうとっくに男性に服を脱がされることの恥ずかしさと、下着が男の指で肌から剥がれる甘い感触の記憶は、すでにわたしの中から失われていたと思っていた。
わたしに触れてくる彼の指はいつもと違っていた。懐かしい恥ずかしさが込みあげてくると同時に、わたしの下僕のように丁寧に、慎み深く、従順に指を動かし、わたしを裸にしていく彼に、わたしは七十八歳という自分の年齢すら忘れ、自分の裸を彼に見せることで、まるでわたしの中に眠っていた女の疼きが喘ぐように襲ってきた。
彼の視線はわたしの老いた裸に動じることなく、もどかしさを感じるくらい冷静だった。シャツとショートパンツ姿の彼は裸のわたしを支えるようにして、浴槽に浸からせる。そのあいだ、彼の整った横顔はわたしのすぐそばにあり、彼の指はわたしの肌に吸いついたままだった。
微かに濡れた彼のシャツに透けるように乳首が浮かびあがる。堅さと柔らかさを同時に感じさせる花の蕾のように乳首を、わたしは、つい唇に含みたくなるように欲しくなる。湯に浸かったわたしの肉肌は彼の視線を誘い込むように現実のわたしのものより若く、白く、冴え冴えとしている。陰毛は水母(くらげ)のように色めいている。彼は湯船の外に跪き、わたしの首筋を濡れたタオルで撫でる。
「とてもきれいな肌ですね」と言った彼の言葉にわたしは恥ずかしさと同時に湯の中に蕩けていくような肉体を感じた。