サジタリアスの女 飛翔の章-4
一週間ほどお互いのタイミングを逃していたせいだろうか。会えなかった。会えない時間がこんなに長く感じられたのはいつ振りだろうか。こみあげてくる若菜への愛しさは僕を高揚させる。会いたいと念じているとドアをコツコツと叩く音が聞こえた。
「こんばんは」
「久しぶりだね。早く入って。身体が冷えてしまってるよ」
今夜は風が強い。外ではざわざわと風が鳴り気がざわめいた。インターフォンをつけていないせいでノック音を聞き逃し彼女に長い時間待たせていたのかもと思い急いで薪ストーブを焚いた。
「すぐ温めるから」
「いいの。寒くはないの」
「そう?顔が白っぽいよ」
彼女はいつも頬を紅潮させ少女の様に目を輝かせているのに今夜はどんよりと虚ろな表情をしている。短いショートヘアも無造作で構っていない。
「最近忙しかったの?」
首を左右に振り若菜はうつむき、爪を噛んだ。
「あのね。私、ここで撮った写真をコンクールに出してたじゃない」
「うん」
「それでね。優秀賞をもらたのよ」
「すごいじゃないか!おめでとう」
「ん。ありがと」
「なんで浮かない顔をするんだ」
入賞がこんな風に気を滅入らせるはずがなかった。
「審査員だった写真家の黒井史郎さんが直接電話をくれて……。弟子にならないかって……」
黒井史郎と言えば日本ではもっとも有名な写真家だ。その彼が弟子にと言うならば若菜の将来は成功に決まっている。だが、しかし。
「いい……話じゃないか」
「ん。すごく……すごくいい話。黒井先生の被写体は世界中の自然だから、私が最も敬愛する写真家でもあるのよね」
黒井史郎の弟子になると言うことは将来の約束と共に彼と世界中を旅し、一か所にとどまることなく活動するということだ。つまり僕とこの関係を続けることは無理だろう。
「返事はしてないの?」
「少し待ってと言ってあるの。黒井先生はじっくりで良いって。自分の内なるフィーリングに従うようにって」
僕はゆっくりと呼吸し自分自身を落ち着かせてから言葉を発した。
「行っておいで」
ハッと顔を上げ若菜はまっすぐ僕を見つめる。
「行ったら、もう……こんな風に……会えない」
「うん。わかってる。でも若菜にとって最高のチャンスだし、世界中を見ることはとても合ってるよ」
「あなたと……離れたくないの……」
ハラハラと涙を落としながら突っ立っている彼女をそっと抱きしめる。
「僕だって離れたくない。でも……君の魅力は常に活動していることで生まれるんだよ」
「ううううううっ」
ただの別れではない。身体の、魂の一部を持っていかれそうな痛みを感じた。しかし、彼女の幸せは僕とここに一緒に居ることではないだろう。そして僕も彼女について行けはしないだろう。初めて肉体を重ねずに抱き合い存在を確かめ合った。そして白々と夜が明け風がやみ静寂が訪れまで何もせず何も話さずストーブの火を二人で見つめた。
「あなたはセコイア杉の木みたい」
「アメリカには世界一高いその木があるんだろう?」
「うん」
「見て撮っておいでよ」
「ありがとう」
疲れたら帰っておいでと言う言葉はかけずに別れた。前を見えて歩き始めた若菜は振り返ることなく山道を降りていく。彼女は軽やかに成功の道を上っていくはずだ。僕はここでじっと樹木の様に立って彼女の成功を見守ることにした。