安倍川貴菜子の日常(1)-1
ある日の日曜の午後、奈津子はいつも贔屓にしている喫茶店『ラパン』に入った。
「いらっしゃいませーっ」
いつものように可愛らしい笑顔のウェイトレスと落ち着いた感じのマスターが出迎えてくれた。
しかし、この店の常連である奈津子はマスターに違和感を感じたのだった。
マスターの落ち着いた感じと笑顔はいつも通りだけど何かがいつもと違う…。
そう思った奈津子はマスターをよく観察すると、いつもしている蝶ネクタイの色が違う事に気付き奈津子は苦笑した。
普段なら黒の蝶ネクタイをするマスターだが今日は赤のチェックの蝶ネクタイを着けていたのだ。
実はこの蝶ネクタイには意味がある。
赤の蝶ネクタイ……
それは、ウェイトレスである安倍川貴菜子に関りのあるものだった。
「しまった…。今日だったのね……」
奈津子がカウンターの席に腰を掛けると同時に背後で食器の割れる音が響いた。
「お客様、大変申し訳ありません!お怪我はありませんか」
そう言いながらペコペコ頭を下げる貴菜子と「大丈夫、大丈夫」と苦笑する男性客の姿があった。
マスターの赤い蝶ネクタイ。これの意味とは一定周期毎にドジをする貴菜子のその周期を常連客に知らせる為のマスターの苦肉の策であったのだ。
因みにこの蝶ネクタイの意味を貴菜子本人は知らないらしい…。
そして、貴菜子本人は普段とてもスムーズに仕事をこなす子である事を付け加えておく。
「またやったか…。本日五回目だな…」
マスターはやれやれといった感じでため息を吐くと男性客に声をかけた。
「ジンちゃん、ズボン大丈夫かい?キナちゃん、新しいおしぼり持ってきてあげなさい」
マスターに指示された貴菜子は男性客に謝ると、すぐさまカウンターにおしぼりを取りに行った。
「マスター大丈夫だよ。ズボンもちょっと拭けば問題ないし。今日は恒例のイベントって事で諦めるよ」
男性客は笑いながら慌てる貴菜子を楽しそうに見ていたのだった。どうやら彼もこの店の常連客であるらしい。
そんな事を思いつつ午後のティータイムを優雅に過ごす奈津子を貴菜子は密かに憧れていたのだった。
「はあ…奈津子さんってかっこいいよなぁ…」
先程の男性客におしぼりを渡し、カウンターに戻った貴菜子はぽつりと呟いた。
それから数時間後、店の営業も終わり貴菜子は店の倉庫で片付けをしていた。
ふと今日の自分のドジっぷりを思い出すと営業中は笑顔の絶えなかった貴菜子の表情が曇りため息も出てくる。
「どうしたら私も奈津子さんみたいに仕事の出来る女性になれるんだろう……」
自分一人しかいない倉庫で誰にでもなく呟くと、棚の一番上の隅に見慣れない小さな箱を見つけた。
貴菜子はその小さな箱にとても興味を惹かれ背伸びをして箱を手にしたのだった。
それは埃にまみれていたが、それでも箱の宝飾はとても上質で貴菜子が埃を払うと照明の明かりに照らさせて綺麗な光を放っていた。
「なんだろコレ?」
貴菜子は箱を開くとその中には小さな赤い宝石を冠した指輪が一つ入っていた。貴菜子は興味本位で指輪を手にするとそれを指にはめてみた。
すると貴菜子の指には明らかに大きすぎるその指輪は静かにサイズを縮め貴菜子の指にフィットしたのだった。
「な、何この指輪っ!?」
慌てふためく貴菜子を余所に指輪の赤い宝石は光を放ち始めた。
指輪を基点として赤い光がどんどん大きくなり光が貴菜子を包み込んだその時、貴菜子の頭に何かが落ちてきた。
「召喚ありがとうでし。ご主人ちゃま」
貴菜子の頭に落ちてきた物体はそう言うとズリズリと頭から降り、肩からそのままピョンと地面に着地すると貴菜子の前に姿を現した。