安倍川貴菜子の日常(1)-3
その頃、貴菜子の自宅から少し離れたマンションの一室で一人の男の子が夕食の準備をしていた。
「ん、今日の出来はまあまあだな…」
味見をしたカレーの入った鍋を温めていたコンロの火を止めると、ご飯を盛った皿にカレーをかけてテーブルに運び男の子は食事を始めた。
「なあ、護っちよぉ、今年のクリスマスは大丈夫なんかい?」
「うっせっ、護っちゆーなって何度言えばわかる。やっぱトナカイのヌイグルミだから知能が低いのか?それと今年のクリスマスも支部の爺さんが来るんじゃねーのか」
食事をしながら答える護にトナカイのヌイグルミは少し不機嫌そうにテーブルの上で腕を組んだ。
「やれやれ、サンタの資格を相続して今年で二回目のクリスマスだけどまだまだ不安でちゅか?護たん」
トナカイのヌイグルミは護を馬鹿にする様な態度で大笑いをする。
「おい、エド…。お前、今年のクリスマスはあの世で楽しむか……?それから、たん付けで名前を呼ぶな…」
護はエドという名のトナカイのヌイグルミを引きつった笑顔を見せながら片手で捕まえると、近くにあったフォークでエドを串刺しにしようとしたのだった。
「わーっ!!護、待ったストップ!俺が悪かったっ。トナカイのちょっとしたお茶目じゃないか。こんな俺でも護のソリを引く事が生き甲斐なんだから執行猶予を求めるっ」
「ほほう…まだ、そんな能書きが言える余裕があるんだ。まあソリを引くトナカイはお前じゃなくても良い訳だし、サンタ協会の支部に申請すればすぐに新しいトナカイが来るから心配すんな」
「ま、マジで串刺しにするんですかっ!?そんな事されたら俺死んじゃうよ。誠心誠意謝るから許してくれーっ!!」
手を合わせ必死に謝るエドを護は不気味な笑みを湛えながら持っていたフォークをエドに向けて振り下ろしエドの目の前で止めた。
「ま、今回のお仕置きはこの程度で許してやるよ」
そう言うと護はエドをテーブルの上に解放したが、エドは恐怖に顔を引きつらせブルブルと震えていた。
「……シャレになんねーよ、マイマスター…」
エドは最後に一言発するとそのまま気絶し護は食事を再開したのだった。
実はこの男の子、神野護はサンタクロースである。
サンタクロースといっても彼はまだキャリアが浅いので地区限定の初心者クラスであった。
このサンタクロースという存在。世間一般にはメルヘンかファンタジー程度の認識しかないのだが、実際にはちゃんと近代的に組織化されており世界各国に多数のサンタクロースが存在している。
そして、世界中にサンタが多数いるのに世間に認識されていない事にも理由があった。
サンタクロースという職業は世襲制だからである事が一点と、サンタの家系が持つといわれている多様な特殊能力による点である。
その多様な特殊能力の中には人の記憶を操作する能力がある。これはクリスマス当日、何かの間違いで正体を知られてしまった場合に使うのである。
この能力はサンタとして仕事をするに当たって基本中の基本の能力なのだ。
従ってキャリアの浅い護は記憶操作の能力と他に二つの能力しか使えないのだ。しかし、これらの能力は期間限定で12月1日から25日までしか使えないのである。
因みにアジア地区を担当する支部長クラスのサンタになると数十個の特殊能力を使えるようになる。
最後にサンタクロースに付き物のトナカイだが、これらの存在はサンタ協会から派遣されている使い魔なのだ。
使い魔とはいえいつもリアルなトナカイの格好でいるのはさすがに目立つので、普段はエドの様にヌイグルミ等の格好をしてサンタに仕え、クリスマス当日にのみ本物のトナカイの姿になってサンタと共に活動するのが彼らである。