だいたい世の中 そう甘くはないわけで むしろこんな風に欺瞞が渦巻いているわけで-1
私は、その人が好きだった。
その人をあえて「彼」と呼ばないのは、ひょっとすると「彼女」かもしれないからだ。
と、いうのも、私たちの出会いがチャットルームであり、始まりがいつしか交わすようになったメールなのだから仕方がない。だから、二人の間にはいつも多分という二文字が
ついてくる。その人は自分は男だとチャットで言っていたから、多分、男だろう。年齢も二十五歳とメールで自己紹介していたから、多分そのとおりなのだと思う。それは、限りなく確信に近い予想だった。
もちろん、私も自己紹介をした。それも、きっとその人にとっては多分のついた事実なのだろうけど。
その人のハンドルネームは、ユメジという。何かのお話に出てきたような、名前だと思う。
ちなみに、私の名前はゲンジ。光源氏からとったことはすぐにわかるだろう。
私たちはチャットで話をしながら、かつメールもやっていた。関係としてはそれだけの
ものだが、私はとても満足だった。朝、一通のメールを読むたびに、夜、一通のメールを読むたびに心が不思議な水で満ち足りていった。本当に幸せだった。
その日は、珍しくチャットには二人しかいなかった。テレホの時間の関係だろう。
ちなみに二人と言うのは当然、私とユメジのことだ。
『今日は何してた?』
と、画面上で彼が言った。
『うん。いつもどおり』
少し間をあけてから、レスがくる。気を使って言葉を選んでくれていたのだろう。
『後少しで卒業だろ?そうすれば大丈夫だよ』
優しい声が、私の耳元で聞こえる。
『いじめなんて、気の小さいやつがやるものさ』
『うん。ありがとう』
と、私も打ち返す。
『ユメジがいるから、私がんばれるよ』
また、間があいた。
『そばにいれば、守ってやれたのにな』
どきどきした。ただの文字なのに、私は本気でどきどきしていた。
『ありがとう。好きだよ。ユメジ』
『うん。俺も大好きだよ。ゲンジ』
今度は早いレスだった。
こんな会話を、私たちは毎晩している。似たような内容で、いつもお互いの心をくすぐりあっているのだ。そう、まるで恋人達が触れ合うように・・・。
夜中遅くまでパソコンと向き合っているものにとって、朝は天敵のほか何者でもない。
当然、私だって、そして私に付き合ってくれているユメジだって例外ではないのだ。
深い眠りの沼からは、いつも母が引っ張りあげてくれた。正直言ってありがた迷惑だったが、まぁ、本業が学生なのだから文句は言えない。むしろそれを毎朝繰り返してくれている母には、感謝しなくてはならないのだ。
その日も定刻どおり、下から母の呼ぶ声が聞こえてくる。と、続いて階段を上ってくる足音。なかなかベッドから這い出せない私を、起こしにきたのだ。
ドアが開いた。
「何時だと思ってるの?学校に遅れるわよ」
と、母が言った。私が学校でいじめられていると知ったら、それでも私をこうして起こしに来てくれるのだろうか?それとも、ひょっとして、もうどこへも行かなくてもいいなんて言ってくれるのだろうか。私はまどろみながら、そんなことを考えた。
・・・そうすれば、もっとユメジと話が出来るかも。