日常と非日常-4
オフィスへ戻ると薫くんが神妙な面持ちで私のデスクの前に立っていた。何かミスでもやらかしたのかなと思ったい、とりあえず薫くんの居る自分のデスクへと向かった。
薫くんはすぐに私の存在に気付くとすぐに駆け寄ってきた。
「あ、あの!櫻木先輩」
「何?どうしたの?」
「その…僕、見てて…何も出来なくて…」
薫くんはもじもじしながら何かを言っているけど、何を伝えたいのか分からず私は首を傾げることしか出来ないでいた。
「あの…そのですね…」
「薫くん、ちゃんと言葉にしないと分からない。それは仕事も同じでしょ」
「は、はい」
「うん、じゃあ言って。どうぞ」
ちらりと樋口のデスクに目を向けてから、薫くんは話しだした。
「さっきの、廊下で樋口先輩が櫻木先輩を…その…」
なるほど、合点がいった。つまり今さっきの樋口の行動を見てたということか。それで何も出来なかった自分を責めてるってところかな。
「あの、ちゃんと課長とかに報告した方が良いですか?」
「いいよ、別に」
「でも」
「いいから。さっきの件は誰にも言わないでおいて」
「分かりました…」
「ほら、仕事仕事!」
私は薫くんの肩を押して持ち場へ戻るよう促した。それでも薫くんは納得いかないのか、眉尻を下げて後ろ髪を引かれるようにして自分の持ち場へと戻っていく。
「面倒臭いことにならなきゃいいな…」
私は誰にも聞こえないくらいの声で、小さくそう呟いた。
「…な、ならない…」
気配を消していつの間にか真横に立っていた人が小さな声で言葉をかけてきた。私はびっくりしてその声の主に顔を向ける。
「い、飯塚さん!」
隣に立っていたのは飯塚史人(いいつかふみと)。35歳で私の先輩でもある。基本的に人と接することが苦手で、声も小さくあまり喋らない人だ。オタクという部類に当たると思うけど、彼の趣味嗜好は全く分からない。やや不潔感も感じるし、女子全般から気持ち悪いと思われている為、女っ気は些かも感じられない。
ただ、私には何度か自分から話しかけてくることもあり、彼自身は私に対してそこまで苦手意識を持ってないのかもしれない。本当のところは分からないけども…。
「め、面倒なことにはならない…ならないよ…」
「あの、どういうことですか?」
「くく…」
飯塚は返事もせず、ただ含み笑いだけを浮かべてデスクに座る樋口に向かい顎を上げ、私に見るよう合図する。
樋口は────先ほどまでとは打って変わり、余裕の無い…むしろ青白い顔でパソコンに向かっている。
「な、何だろうね…体調でも悪いのかな…くくく」
「あ、あの…」
「き、君は何も…心配しな……いい」
「え?ごめんなさい、最後の方あまり聞こえなくて…」
「何も、ね」
いくつかの聞き取れない言葉を残して、飯塚は廊下へと消えていった。
相変わらず不審な人だ。別に嫌いではないし、気持ち悪いとまでは言わないけど、どこか不気味さを持っている。何を考えてるのか分かりにくいからかもしれない。
ただ彼は仕事は出来る。仕事の出来で言えばもしかしたらこの部署内でピカイチかもしれない。仕事の早さもありクオリティも高い。黙々と、淡々と仕事を熟す。周囲から見るとのんびりやっている様に見られがちだけど、決してそんな事ない事を私は知っている。
「能ある鷹は爪を隠すんだよなぁ」
彼が言ってたことは理解できないまま消化不良を起こしていたけど、私はただそうぼやいて椅子へ座った。