とある小説家の一つの悩み-1
何かを毎日行っているとたまにそれが上手くいかなくなる時が有る。
それはプロ野球選手のバッティングであったり、棋士の打ち方であったり…。
かくいう私もそんな上手くいかない街道をひた走る迷える子羊だ。
「それは俗に言うスランプと言う物ではないのですか?」
ああ…私が言おうとしている事を先に言われてしまった。
それにしても何で何も言っていないのに彼女は私の葛藤を理解していたのだろうか。
私が見ていない数時間の間にテレパシーでも体得したとしたら恐ろしい。
今畳の上でぐったりとしている私を見ている少し長いおかっぱの髪をしたこの人は『楓さん』と言い、私の助手だ。
それ以上は今の所は分からない…別に知ろうとも思わないが、彼女は私が何も知ろうとしない事に不満は無いらしい。
ただ、服装のセンスはどうにかならないものか…とは毎日思う。
彼女は暑い日だろうが寒い日だろうが常に『メイド』と言う格好で外に出歩く時もそのままだ。
美人なのだが、その服装のせいでとても変な人に見えてしまう…着物でも着ればとても似合うと思うのだが。
「それで…先生はスランプなのですか?」
そうだ…私は今悩んでいたのだ、助手の服装の事などに頭を巡らせている場合ではない。
私は小説家と言う仕事をしているのだが、今執筆している小説が一週間前から一字も進んでいない。
ちょうど男女の恋愛のシーンに入る所なのだが、今の私にはどうにも思い付かない状態であった。
「少し執筆が進まなくてね…。」
そう言うと私は起き上がり家中をうろつき回ってみるがやはり駄目であった。
普段の私なら平賀源内も真っ青になる程アイデアが湧き出て原稿用紙があっと言う間に真っ黒になるのだが…。
「見たところ主人公とヒロインが出会うシーンで止まってますね。」
しかも、小説としてはかなり早い段階でのつまづきだ…スタート地点でもう既に転んでいる。
このままでは私の小説家人生に幕が降りてしまう、一体私はこれからどうしたら良いのだろうか…。
元小説家だなんて履歴書には書けないからこれからの就職も危うい。
「仕方ない…ヒロインを退場させるか…。」
最初組んだプロットが崩れてしまうのは痛いが、これからが小説の見所なので神様は許して下さるはず。
すぐに椅子に座って愛用の万年筆を手に取り原稿用紙に手をつける。
「恋愛小説なのに颯爽とヒロインを退場させて良いんですか?」
楓さんが軽いジャブを入れるが気にしない事に決めた。
これは大事の前の小事、私が『勝利』を手に入れるには今ここでヒロインを退場させるのが重要なのである。
「よし…出来た。」
我ながら見事な出来栄えで惚れ惚れしてしまいそうだ、これなら芥川賞なんて楽勝だろう。
「ちょっと見せて貰ってよろしいですか。」
そう言うと楓さんは机の上に有る私が書いた小説を引ったくって読み始めた。
ふふふ…きっと驚くだろうな。
『僕の名前は高井戸 和也、平凡な高校生だ。
僕には好きな幼馴染みが居る、名前は遠藤さつきと言って、
いつも彼女は僕の事を起こしてくれて毎日学校に一緒に通っている大切な幼馴染みだ。
「起きて、和也くん。」
さつきの声がする。
きっと今日も起こしに来てくれたんだ。
目を開けて見るとさつきが血だらけで倒れていて背中に包丁が刺さっていた。』