朔太郎の母の秘密 過去-3
「サ、サクミちゃんと会ったりはしたのかい?」
「ええ。里美もいろいろと悩んでたみたいよ。
これからは今までみたいに写真を撮ってもらうのも遠慮しようかしらって。」
「な、なんで?かえって気兼ねなく来れるんじゃないのか?」
「気兼ねなさ過ぎるのが困るっていうか。
あなたに父親を求めちゃうんじゃないかって気にしてたわ。
サクミちゃん、言ってたそうよ。
写真を撮ってもらうたびに。
充おじさんがわたしのお父さんだったらいいのになって。
そのことを浩二さんはずいぶん気にしてたみたいだって。」
朔太郎はもう一杯いっぱいだった。
母親の状況がどうこうではなく、朔太郎自身がおかしくなりそうだった。
朔太郎は半ば強引に母親に縋りつき、母親を覚醒させようとした。
しばらくの沈黙ののち、母親はようやく自分を取り戻したようだった。
「お袋。大丈夫、か?」
「あ、え?えっ?あ、ああ。さく、朔太郎、ね。
ねえ、お父さん、は?」
「おい、お袋。親父の夢でも見てたか?」
「夢?えっ?あ、ああ。そん、ね。夢、なのよね。」
「親父、夢でなんて言ってた?」
「えっ?あ、そ、そうね。朔太郎のこと、心配してたわ。」
母親の言葉はどこかしら虚ろだった。
朔太郎は母親にどう声をかければよいのか、正直わからなかった。
母親が厳格らしきものを見ていることを正直に告げ、医者に見せた方がよいのか、
母親の、親父に対する愛情の表れ方の一つとしてとらえ、
何も見なかった、何も聞かなかったことにするか。
ただ、正直なところ、
母親の身体、特に、心の部分、精神の部分が、朔太郎には心配だった。
朔太郎の気づかぬところで母親なりに、
この3年近く、経済的なこと、精神的なことを含めて、
全てを背負い、全てをたった一人で切り抜けてきたのだ。
父親が生きていたころ、
母親がどれほど父親に依存してきたのかは全くわからないが、
恐らくは朔太郎には気づかれないようにと言う思い一心で生きてきたのだろう。
目の前の朔太郎の姿に、亡き夫の姿を見る妻、と言えば美談だが、
朔太郎の父親は、朔太郎の実の父親ではない。
つまり、朔太郎の母親にとって、朔太郎の姿は、
その父親を想像させる何の要素も持ってはいなかったのだ。
それでも母親は、自分の姿を亡き夫の姿に重ねて語り掛けてきた。
朔太郎にとって、この事実は衝撃的でもあった。
(母親の言うことが真実だとするならば、
オレが実の子どもではないことは、親父はわかっていたはずだ。
当然、母親も、オレが親父の血なんて一滴も受け継いでいないことなんて、
ちゃんと分かっていたはずだ。それなのに……。)
母親は錯乱状態の中とはいえ、オレの姿の中に自分の夫の姿を見て、
オレを親父と勘違いして語り掛けてきた。
お袋にとって、親父にとって、オレは一体、どういう存在なのだろう。
気が付くと、母親は安らかな寝息を立てながら、いつの間にか眠りについていた。
明日、覚めた時に、果たして今のことを、自分が思いのままに、
全ての過去を、全ての事実を語ってしまったことに気づくのだろうか。
(知らないことを前提に、話をしていくべきなのか、
それとも、全く知らないことを前提に、話していくべきなのか……。)
母親は笑顔さえ浮かべながら、ゆったりと眠っていた。
(この安らかな寝顔を、苦悩の表情に変えたくはない。
だとすれば、これからオレは、と言うよりも、まずは明日の朝、
どんな顔でお袋の前に立てばいいのだろう。)
正直なところ、もっと根掘り葉掘り、母親を問い詰め、
朔太郎が感じている疑問の全てを母親にぶつけたいところである。
ただ、母親のさっきの状態は、素人目に見ても、明らかに異常だと思われた。
自分はどうすべきなのだろうか。
誰にも相談できないことが自分の目の前に現れた。
(いずれにしても、母親の精神状態は普通じゃない。
狂っているかどうかは知らないが、明らかに普通ではない。
まずは医者に連れて行くべきだろうな。
そして、そこで何らかのことが分かったとして……。
そこがすべてのスタートになるんじゃないだろうか。)
朔太郎はサクミとの約束も忘れ、
翌朝、起きるや否や手当たり次第の病院に連絡を入れ、
ようやく13件目にして診察の予約を取り付けた。
検査結果をもとに医者が下した診断は、ごくごく簡単なものだった。
〈精神の疲れ。旦那様が亡くなってから、いろいろと心労が続いたのでしょう。
少し、ゆっくりされるといいと思います。)
それだけだった。
素人にも下せる判断だった。
しかし、おそらくは医者にとっても、その程度しか言えないことなのだろう。
朔太郎は医者に頼った自分を恥じた。
そうだ。母親は、親父が亡くなって以来ずっと、
誰に頼るでもなくたった一人で背負って、今日まで生きてきたのだ。
医者に言われるまでもない。
お袋は肉体的にも精神的にも、疲れ切っているんだ。
だったら、休ませてやればいい。
何の心配もかけずに……。
(どうしよう。)
安定剤が効いているらしく、安心しきった表情で眠っている母親を見ながら、
朔太郎は突然思い出した。
(しまった!今夜はサクミとのビデオ通話の約束の日だった。)
しかし、こんな状態でサクミとのビデオ通話は、さすがにできなかった。
状況もそうだが、朔太郎の心理状態としても、
母親の状態が気になって仕方のない今の状態では、
とてもではないが、サクミとテンションが合うはずもなかった。
しかし、二人の間にとっては、大切なスタート段階でもあった。
それでも朔太郎は、母親のそばにいることを選び、サクミに連絡を取った。