思い出はそのままに-59
「お兄ちゃん。次、なに乗ろうか?」
「怖くないやつがいいな」
「もう。お兄ちゃん、意気地なしなんだから」
「これが、普通なのさ。なあ、菜美。菜美だって、怖いのは嫌だよな?」
「ワタシ、怖いの大好きだよ」
「はは、おまえたちは強いな。ちょっと休ませてくれよ。俺、疲れちゃった」
「もうー。お兄ちゃん、だらしないー」
浩之は、近くにあるベンチに腰を降ろした。今日は、美奈と菜美を連れて、遊園地に来た。美奈と菜美は、ずっとはしゃいでいる。こういうところを見れば、やはり子供なのだと思う。これが、本当の姿なのだろう。今までが、おかしかったのだ。
浩之は、美奈や菜美を性のはけ口としか見なかった。浩之の方が、おかしかったもかもしれない。
「美奈、アイス買ってこいよ。ほら」
浩之は、財布からお金を渡した。
「ラッキー。菜美、買ってこよう」
美奈が、菜美の手を引いた。二人が、近くにあった売店に走っていった。
静かになった。美由紀のことを思い出した。一人になると、いつも美由紀のことが頭に浮かんだ。なぜ、なんなことになったのか。自分は、どこを間違えてしまったのだろうか。そう、繰り返し問いつづける。
「お兄ちゃん、買ってたよ」
美奈と菜美が、それぞれ浩之の隣に座る。今は、二人の明るさが心地よかった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「どうって?」
「元気ないから・・・」
「そうか?」
「ワタシたちと一緒じゃ、つまんない?」
浩之は笑った。
「そんなことはないさ。ただ、いろいろとつまらないことを思い出すんだよ」
「美由紀さんのこと?」
「まあな」
「ごめんなさい・・・ワタシのせいで・・・」
「そんなんじゃないさ」
浩之は、美奈の頭を撫でた。浩之は、美奈と菜美の気持ちを考えなかった。それが、いけなかったのだ。二人を責める気持ちは、微塵もなかった。
「ただ、思い出はそのままにしておけばよかったのかな。そうすれば、傷つくことはなかったのかも」
祐樹は、美由紀のことが好きだった。だが、美由紀とは姉弟だったのだ。その想いは、祐樹の心に歪んだ形で募っていったに違いない。それが、浩之が美由紀に近づきいたことで暴走した。
もしあの時、浩之と美由紀が出会わなければ、祐樹が暴発することはなかった。美由紀が犯されることもなかったに違いない。
浩之が、傷つくこともなかった。
「いや、違うな」
浩之は、美奈と菜美を抱き寄せた。甘い香りがした。
祐樹の犠牲者は、美由紀だけではないのだ。美奈、菜美、沙織、美咲。あるいは、健太も犠牲者なのかもしれない。
浩之が最初、祐樹の家に呼ばれた時。あの時、祐樹のやっていることを止めさせなければならなかったのだ。だが、浩之は祐樹にばかにされたと頭に血を上らせて、周りが見えなくなってしまった。いや、祐樹に怯えて、いいなりになってしまった。
浩之は、臆病な人間だった。だが、それを認めることが出来なかった。だから、ばかにされると過剰に反応してしまう。怒りを、強さなどと勘違いしてしまうのだ。
『謝れ』という声は、浩之の心の悲鳴だったかもしれない。弱さを、弱さと認められない心のねじれが生み出してしまったのだろう。
臆病なのが、弱さなのではない。臆病を認めることが出来なかったのが、浩之の弱さだったのだ。それがわかった今、『謝れ』という声も聞こえることはなくなった。
「なに辛気臭い顔してるんだよ」
二人とも、思いつめたような顔をしていた。浩之は、二人の頭をグシャグシャに撫でた。
「もー。お兄ちゃんが、暗い顔してたんでしょ」
「さあ、行こうか。次は、なに乗ろうかな。菜美、何がいい?」
「むーーー」
美奈が、頬を膨らませた。菜美が笑った。
「そうそう。今日、お兄ちゃん、ワタシの家に遊びに来ない? ママがよかったら遊びにきてって」
「そうだな。行くか」
「やった! ママきっと喜ぶよ!」
二人は、はしゃいでいた。
美由紀は今、何をしているのだろうか。考えると、胸が疼いた。いつか、この疼きもやんで、普通の日常に埋もれていくのだろう。それが一番いい。だが、美由紀のことは、忘れたくなかった。
あの写真は、今でも大事に持っている。浩之が好きだった美由紀はもういない。だが、浩之の心の中には、あの優しかった美由紀がいる。それでいいと思った。そう、思い出はそのままに。