おりん-3
「ふぅ、五臓六腑に染み渡りますなぁ……あっしはこいつが何より楽しみでして…………話の続きでございますね? ええと、どこまで…………ああ、そうでございましたな。
……その話を聞いた時にね、あっしは取り上げ婆さんの話を思い出したんですよ……おりんちゃんが産まれた時にね、あの子にも痣があったそうでしてね……青い細長い痣がね……まるで体に蛇が絡み付いている様だったってねぇ……。
…………ええ、そうでございやす、仰るとおりで……親分さんからこの話を聞いたのはおりんちゃんが親戚に引き取られて行って何年も後のことでございやした、ええ、親分さんが亡くなる少し前のことでしてね…………ええ、事件のすぐ後に親分さんが皆に言ってたのは『染物職人の正吉の家に盗人が入って、揉みあいになって二人とも死んだが、娘のおりんは押入に隠れていて無事だった……』それだけです…………まあ、嘘っちゃぁ嘘ですがね、方便ってのもありますでしょう? だって本当の事を言っちゃおりんちゃんが可哀想ってもんです、おやじさんが殺された側に裸で転がってただなんてことが世間に知れたら、殺されなかったまでも傷ものにされたって誰だって思うじゃありませんか、違いますかい? それに死んだ盗人の首の痣のこともありますしねぇ、あの子は魔性の者だなんて噂も立ちかねませんや、そう言われても不思議のねぇ雰囲気がある子でしたしね…………いえ、おりんちゃんの痣の事は正吉を別にすれば取り上げ婆さんとあっししか知らなかったと思いますがね……。
え?…………へへ、お察しのとおりで、取り上げ婆さんとは古い馴染みでして…………え?…………へへ、敵いませんなぁ…………ええ、仰るとおり、お得意様だったってだけじゃありません、あっしも婆さんもまだ若かった頃にちょいと深い仲だったこともありやしたなぁ、まあ、旧い話でございますよ。
おりんちゃんは今、十四……ああ、十五でございますか、八つでもあんなに綺麗な娘でしたからなぁ、さぞやべっぴんさんになっているんでございましょうなぁ。
お役人さんはおりんちゃんがどこでどうしているのかご存知なんで?…………え?
……武州の庄屋のお屋敷のご奉公に? そうでございますか…………で?…………そこの息子が?…………首に刺青みたいな青痣をつけて?……。
なるほど、それで今頃になっておりんちゃんのことをお聞きにわざわざいらしたって訳でございましたか。
お役人様はおりんちゃんを疑ってらっしゃる?…………ああ、そうでございましたか、そうでございますとも……でも亡骸の隣でおりんちゃんが気を失って……そいつは疑われても無理はございませんな……でも、でもですよ、十五の娘が刃物もなしに大の男を…………はあ、そうですか、庄屋の息子ってのは相撲取りと見まがうほどの大男で、名うての乱暴者だと……おりんちゃんはやっぱり着物を剥がされて……その息子ってのは奉公人を手当たり次第に手篭めにしてたんじゃありませんか?……はぁ、それどころか村の娘まで?……随分と嫌われ、恐れられていたんでしょうなぁ。
大体見当が付きやした、お役人様はこうお考えでいらっしゃるんでございましょう?
華奢なおりんちゃんが相撲取りほどもある大男の首を絞めて殺められるはずがない、と……そうでございましょうねぇ、誰だってそう思いますな、首についた青痣のこともございますしな、でも庄屋はそうは考えないのでございましょう?……あっしは子を持ちませんでしたが、まあ、それぐらいはわかります、どんなに手のつけられない乱暴者の馬鹿息子だろうと、親から見れば大事な息子であることには変わりはございませんからなぁ。
それで、お役人様はおりんちゃんをどうなさるおつもりで?……左様でございますか、獄中で死んだことにして甲府へ……はぁ、その上奉公先までお世話を……。
ありがとうございやす。
あっしはおりんちゃんの親でも何でもありやせんがね、親戚に知らせをやって迎えが来るまでの三日ばかりでございましたが、おりんちゃんを預かっていたんでございますよ。
へえ、すっかり塞ぎこんでおりやした、それはそうでございましょう? たった一人の親が盗人に殺される所を見ちまったんですから……その後の事ですかい? そいつは何にも覚えちゃいなかったはずでございますよ、おりんちゃんは気を失ってたんですからな、それに、そんなことは口が裂けてもおりんちゃんには聞けませんし、そんなつもりも毛頭ございやせんでした。
不憫で仕方がなかったでございますよ、遠い親戚に引き取られて行く時も、何度も何度も何度もこっちを振り返りやしてねぇ……あの深い井戸のような目から涙をぽろぽろこぼしてた姿は今でもはっきりと覚えていやす、あの娘には何の罪もないんでございますよ、正吉が殺されたことも、盗人が死んだことも、それと、おそらくはその庄屋の息子の事にも……。