その3-1
この物語は、それぞれの人物が複雑に絡み、関わっています。
途中で、その人物の回想としていきなり飛ぶ時があり、戸惑う
ことがあるかもしれません。
しかし、それは後で微妙に繋がってきます。
時々、振り返って関連した人物を読み返して頂ければ新しい
発見があるかもしれません。
この小説はそんな試みの中で誕生しました。
ーーーーーーーーー 美奈子の回想 ーーーーーーーーーー
矢吹に抱かれながら美奈子は、
思い出したくもない嫌なあの頃を思い出していた。
美奈子はこの店を彼女が一人だけでやり繰りしていた。
この店にホステスとして勤めていたときに、
親しい前の経営者から譲り受けてから数年たったが、
何とか食べていけるほどにはなってはいる。
しかし売り上げは期待できない。
それは世間の景気がよくないのと、
賑わいのある駅向こうのスナックに客を奪われているからだ。
美奈子は水商売をする女としてはあまり派手さがない。
それが良いと言って、やってくる客には女も少なくなかった。
およその客は楽しく優しかったが、
たまに男の客の中には、
卑猥な言葉で美奈子の反応を見たりするような嫌な男もいる。
気丈に振る舞う美奈子は、
そんな時には何とかやり過ごすのだが心の中には虚しさが残った。
別れた前夫は美奈子にとっては良い夫ではなかった。
優しくなかったし、暴力をされたこともある。
その男は見た目は男前で、彫りが深い顔をしていた。
若い頃の美奈子は、そんな男に惚れてしまったのだ。
だが、一緒になってみるとその男の中身は違っていた。
働かないし、当然、働くのは美奈子だけだった。
思い出したくもない記憶が時々蘇ることがある。
それはある日突然やってきた。
美奈子が洋裁店で働いていた頃だった。
その日が休みだったので、美奈子は家で洗濯をしていた。
その時、パチンコにいっているはずの夫から電話があった。
「おい、美奈子」
「あ、あなた、どうしたんですか?」
「悪いが、ちょっと来てくれないか?」
「えっ? どこへなの?」
「駅向こうに、『クイーン』と言うラブホテルがあるだろう」
美奈子は嫌な予感がした、
夫のその言葉に何か不安を感じたのだ。
「それがどうしたの?」
「今すぐそこに来てくれ、部屋の番号は6階の604号室だ、
エレベーターで乗ってこい。
間違えるなよ、きたらノックしてくれ」
「駄目よ、急に、そんなこと言われても……」
「お前は、俺のいうことを聞けないのか?」
「だって……」
「色っぽい服を着て来い。待っているからな、じゃ……」
そう言って夫は電話を切った。
美奈子は途方にくれた、こんなことは初めてである。
結婚する前には、何度かラブホテルに行ったことがある。
何故に夫がそこに呼び出すのか、その理由がわからないのだ。
性欲だけは旺盛な夫とのセックスは、2日前にしたばかりだからだ。
しかし、美奈子は夫が浮気をしてるのを前から感じていた。
そんな関係からか、最近の夫は以前とは愛し方が変わっている。
それは、とても人には言えないようなことだからだ。
そんな夫でも、美奈子の心の中にはまだ未練があった。
抱かれてしまうと、女は欲望という沼からは2度と抜け出せないのだ。
それは悲しい女の性(さが)かもしれない。
美奈子は畳み掛けの洗濯物をそのままにして、
クローゼットの前に立った。
そして、その中から珍しいミニスカートと薄手のブラウスを手に取っていた。
夫が言った(色っぽい服を着てこい)という言葉がなぜか気になる。
不安を抱きながらも、鏡を見る美奈子の心は嬉しかった。