未来が見えない(処女、ちょっとホラー)-1
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もったりとしたぬるい空気がまとわりつく居酒屋通りの裏路地の片隅に、綿の白いクロスを敷いた木製の小さな机が置いてある。そこには水晶玉がこれ見よがしに乗せられており、筮竹(ぜいちく)を手にした占い師がひとり、来もしない客を待っている。髭を生やして威厳を保とうとしているが、老練な占い師を演出するにしては少々若すぎるのは隠しようもない。
ザッ、とコンクリート上の砂利を踏む音が、彼の前で停止した。
「一件または十分につき、二千円です」
手で椅子を勧めながら、占い師は事務的に告げて顔を上げ、物好きな客の顔を見た。彼よりもだいぶ若い。せいぜい二十歳ぐらいか。ライトブラウンのショートボブがよく似合う、快活そうな女の子だ。オレンジ色のポロシャツに白いショートパンツは、彼女にはよく似合っているが、あまり洗練されているとは言いがたい。元々は白かったであろうスニーカーも穴が空いてグレーになっている。要するに、ファッションにはこだわりが無い、ということが見て取れる。
クリクリとした大きな瞳で値踏みするように占い師をジロジロと見ているが、なかなか座ろうとしない。若い女の子がけして選択しないであろうこんなロケーションの占い屋にわざわざ一人で来るぐらいだから、なにかよっぽどの事情があるのだろうけれども、座ってくれないことには商売が始められない。
「とりあえずおかけに……」
「お兄さん、当たるの?」
礼儀知らず、というよりは、切羽詰まった雰囲気を彼女に感じた占い師は、正直に答えることにした。
「当たりますよ。そのせいで表通りの占いゴールデンエリアを追われました」
「なんで? 当たるんならいいじゃん」
「それがですね」
占い師は身を乗り出し、机に両肘を突いて、秘密の話をするように囁いた。
「当たりすぎるんですよ」
それはセールストークでは無い。事実として、彼は高い未来予測能力を持って生まれた。見える、というより見えてしまうのである。そして見えてしまった未来は、たとえどんなに過酷であろうとも、言わずにはおけない性格だった。なんとなーくいい感じのことを言ってお金をもらう、という器用なことが出来ないのだ。
「気に入った」
占い師の話を真剣な眼差しで聞いていたその女の子は、ドスン、と小さな折りたたみ椅子にお尻を下ろし、紅羽玲佳(くれはれいか)と名乗った。
「見えないらしいのよ、私」
「見えない?」
「そう。ぜんぜん恋人とか出来ないから、友達に勧められて占いに行ってみたのね。そしたら占い師のじいさん、首を傾げて黙り込んじゃったのよ。で、最後に一言。見えない、って。どういうこと? って訊いたら、あなたの未来が見えない、こんなことは初めてだ、お代はけっこうです、ってね」
占い師は真剣な顔で頷く。同業者のふがいなさを笑ったりはせずに。
「なんだそれ? と思って他の占いにもいろいろ行ったんだけど、みんな首を傾げるか気の毒そうな顔をするの。でね、アタマきちゃって一人で飲み明かそうと思って店を物色してたら、お兄さんを見つけたの。ダメ元で見てくれない?」
ダメ元は酷いなあ、と思いつつも、占い師は依頼を受けることにした。
「なるほど、状況は分かりました。将来、恋人が出来るのか、というお話でよろしいでしょうか」
「ええ、よろしいです」
半ば諦めたような顔で、玲佳は、ふんっ、と鼻を鳴らした。
占い師は筮竹を揺らし、水晶玉に手をかざした。本当はそんなことをする必要は無いのだが、まあ雰囲気というものだ。彼にも、そのくらいの接客サービスは出来るのだった。
「どう?」
身を乗り出して訊く玲佳に、占い師は正直に答えた。
「見えませんね」
あからさまにガッカリして席を立とうとした玲佳に、占い師はひとこと付け加えた。
「なぜなら、あなたには未来がありません」
笑うところなのか怒るところなのか分からない、といった風に、半笑いで頬をひくつかせる玲佳。
「何、それ」
目を閉じ、ゆっくりと一つ息をしてから、占い師はなるべく落ち着いた声で、静かに告げた。
「あなたは死にます。近いうちに」
玲佳の顔から笑いが消えた。
「……お兄さん、当たるのよね。で、見えたことはどんなに悪い内容でも言っちゃうのよね?」
「その通りです」
「それ、間違いないの? 私が死ぬっていうの」
「ええ。未来が見えないという事は、死ぬという以外の結末は考えられません。そして、僕は未来予測を外したことは一度もありません」
空を見上げ、玲佳はため息をついた。星は見えない。都会の空は賑やかすぎる。だが、一つだけ見えたものがあった。
「そっか……私、死ぬんだ。あのUFO、子供の頃からしょっちゅう見てるけど、死神とかそういうことだったのかな」
占い師は目を丸くした。
「え、あれが見えるんですか?」
「ていうか、お兄さんにも見えるの? 私の他には妹の玲奈にしか見えなかったのに」
「他にも見える人がいるんだ……」
占い師の驚きをよそに、机の上の水晶玉を勝手に手に取り見つめながら、玲佳はポツリポツリ話し始めた。
「私ね、まだ処女なんだよ? 恋人が出来たことも無い。なのに、このまま死んじゃうのね」
大きな瞳に、涙が滲み始めた。
「せっかく女に生まれてきたのに、エッチの一つも知らないまま死ねって言うの?」
玲佳がポイッと投げた水晶玉を、おっとっと、となんとかキャッチして、占い師は定位置に戻した。
「ああもうっ、誰でもいいから抱いてくれ。おーい、ここにかわいい処女がいるぞー! 誰にでも抱かれてやるぞー!」