月虹に谺す声・第二章〜摩天楼に唄う小鳥〜-4
「ふん、莫迦莫迦しい。人間は排他的な意識しか持てない存在なんだ。それが証拠に俺達の眷属はこの世界から姿を消した。こちら側に残った者も、その正身(むざね)を晒せば恐れられ、排斥される。人間と俺達は相容れない存在なんだ」
「だから、殺したんですか?」
月郎の言葉に、体格で勝るツクヨミの目が泳ぐ。バンダナの男は一瞬気圧された表情を見せるが、すぐに気を取り直し、威厳を取り繕って少年に向き合った。
「だから、殺したんだ!俺は俺達の世界を守る為にそれが必要だった。人間が俺達の世界に近付かないよう、俺達の世界を垣間見た人間は殺す必要があったんだ」
ツクヨミは虚勢を張るように声を荒げた。
「俺達の世界?」
ツクヨミの言葉に月郎は首をかしげ、そして、その言葉には紅蘭も反応した。
「俺達の世界って、まさか、門の向こうの世界なの?」
月郎を押しのけ、紅蘭は思わず前へ出た。しかし、男の言う世界とは何なのか、問い質そうとしたその瞬間、給水塔の上に居た少女が唄い始めた。
少女を見上げ、呟くツクヨミ。
「小鳥、お前……」
一瞬、誰もの視線が給水塔の上に注がれる。しかし、少女は心此処に在らずといった様子で唄い続ける。
その歌声はまるで月の光の様に繊細で、透明感があり、それでいてどこか悲しげだった。
一同はしばし我を忘れてその歌に聴き入った。街の喧噪が意識の外に遠のき、美しい歌声と、青空を流れる雲だけが時の流れを感じさせる。
そして、どれくらい小鳥の歌を聴き続けただろう。不意に歌声がやみ、時の流れが一気に元に戻る。
弾かれたように我に返る月郎達だったが、歌をやめた小鳥は給水塔の上に立ち上がると、誰も居ない空間に微笑みかけた。
「ええ、本当に。とても綺麗な星空だわ。こんな都会では珍しいわね」
当たり前のように話し始める小鳥に、月郎と紅蘭は首を傾げた。星空と言ってもまだ日没までには随分時間がある。
その傍らで表情を暗くし、小さく舌打ちをするツクヨミ。
「月も星も、あんなに輝いている。きっと明日もお天気が良いと思うわ」
小鳥はそう言うと足を踏み外し、給水塔から落ち、そしてツクヨミがそれをすんでの所で受け止めた。悲鳴一つ上げず、助けてくれたツクヨミに視線を合わせようともしない小鳥。それどころか、何もない虚空を見つめ、微笑みをも崩さない。
思わず駆け寄る月郎と紅蘭。紅蘭が小鳥の顔を覗き込み、そして視線をツクヨミに向ける。
「…この子」
最後まで言わなくてもツクヨミは頷いた。そして小鳥はツクヨミの手を振り払うと、フラフラと立ち上がり、見えぬ相手と再び会話を始める。
「俺がこの町で小鳥と出会ったのは、この町に狼の門が開いたときだった。前に失敗したことのある俺は門の場所に駆けつけたが、残念ながら門は適合者を招き入れた後で、消える寸前だった。そして絶望した俺はその場を立ち去ろうとしたが、誰かの歌声が聞こえ、暗闇に目を凝らしてみると小鳥が立ち尽くしていたんだ。小鳥は俺が見つけたときから正気じゃなかった。心の病は生来の物なのか、それとも狼の門の前で何かがあったのか、それは俺には分からない。ただ、見捨てておけずに今日まで一緒にいるって訳だ…」
そう言って自嘲気味に笑うツクヨミ。
「ともかく、俺は俺の世界を守るし、それは誰であろうと邪魔はさせない。だが、お前達は眷属だ。俺の守る世界がどんな物か知りたいのなら、満月の晩にもう一度この街に来るがいい。そうすれば、俺の気持ちが解る筈だ…」
そう言うとツクヨミは少女を抱え上げ、何処ともなく消え去った。
「…ツクヨミの守る世界」
月郎は呟いた。人を殺してまで守らなければならない大切な世界がどんなものなのか。
その日、都会の空はたった一条の雲も無く、汚れなく清純な青い色をしていた。…もし空が生まれたばかりなら、こんな色をしていただろう。