月虹に谺す声・第二章〜摩天楼に唄う小鳥〜-3
「何よ、どうしたの?」
月郎の挙動に紅蘭は首を傾げるが、次の瞬間、月郎の顔が真顔に戻り、何かを感じたように走り出した。
「ちょっと、どうしたのよ!」
慌てて後を追う紅蘭。
「歌が、歌が聞こえます!!」
走りながら、そう答える月郎。狼の卓越した聴力が、風に乗って聞こえる微かな歌声を聞き分けていた。
「う、歌ぁ??」
「そうです。聞こえませんか?女の歌声。もしかしたら噂になっている魔女かも知れない」
「ちょっと、待ってよ。もしかしたらラヂオか何かかも知れないじゃない」
月郎は紅蘭の言葉に耳を貸さず、辺りで一番高いビルを目指した。路地裏に入り込み、鉄柵を越え、非常階段を駆け上がる。
すると、次第に歌声がはっきりとしてきた。そして、臭いも。それは間違いなく獣の臭いであった。
「確かに眷属の臭いがするけど、だけど何もないじゃない…」
屋上に駆け上がった二人は周囲を見回すが、歌声は何時しか聞こえなくなっており、人の影も見えない。
「だけど、気配はする…」
辺りを注意深く見回す月郎。すると、給水塔の上から誰か男の呼び声が聞こえた。
「よお、昨日のガキじゃねえか…」
月郎と紅蘭は慌てて上を見上げるが、丁度陽光が目に入り、思わず目をしばたたかせる。すると逆光の中、声の主が給水塔の上から降りてきた。
「よお、昨日のガキじゃねえか。今日は女連れか?ガキのくせして隅に置けねぇ奴だな」
目を擦る月郎。視力が次第に戻ってくるが、見えなくてもその声には聞き覚えがあった。昨晩、屋台に現れたバンダナの男である。
「あなたは昨日の…」
呟く月郎。バンダナの男は不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「俺はツクヨミ。そしてあそこで座っているのが小鳥…」
月郎と紅蘭はその言葉に釣られ、思わず給水塔の上を見た。すると、巻き毛の愛らしい少女が何を思うのかぼんやりと空を眺めているのが見えた。
「あれが、魔女…」
呟く紅蘭。その言葉を耳ざとく聞きつけたのか、ツクヨミと名乗るバンダナの男はうんざりした表情で頭を掻いた。
「魔女、ねえ…。まあ、確かに小鳥には不思議な力はあるがな…」
「教えてください、ツクヨミさん。昨日、屋台の小父さんを殺したのはあなたですね?現場に狼の毛が落ちていました。一体、何だってあんな事を…?」
「ふん、近頃のガキは礼儀をわきまえないらしいな。人に名乗らせておいて手前ぇは何様のつもりなんだ?」
バンダナの男に窘められ、月郎は思わず頭を下げた。
「すみません、僕は月郎。そして、この女の人が紅蘭…」
あっさりと頭を下げた月郎に、男は些か拍子抜けした顔を見せた。
「……私の名前、イヒ♪」
月郎の後ろで頬が弛んでくるのを必死に堪える紅蘭。月郎は気が付かなかったが、ツクヨミは紅蘭の気持ちの悪い笑いに少し顔をしかめる。
「それで、坊やはどうして俺が人を殺したのか、それを訊きたいんだよな」
紅蘭の怪しげなオーラを意図的に無視しながら、ツクヨミは話を戻した。ツクヨミの言葉に神妙な顔で頷く月郎。
「昨日、蕎麦屋の小父さんを殺したのはあなたですね?あなたの毛が現場に落ちていました。何だってあんな事を……」
月郎の言葉を聞き、バンダナの男は眉をひそめた。
「はあ?よく分からないな。お前は眷属だろ?まるで人間のような口ぶりじゃないか」
ツクヨミはそう言って月郎の表情を伺った。しかし、月郎は物怖じする事無く、真顔で応じる。
「命の尊さに眷属も人間も関係ないでしょ」
そう言って、月郎はツクヨミの眼を見つめ返す。