純白の蝶は羽ばたいて(美少女、処女)-1
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「誰が面白いゲームを作れと言った」
部長は苛立ちを隠さない声でそう言い放った。
「売れる物を作れ」
いつものことだが気分が滅入る、と思いつつも、岩亀達也(いわがめたつや)は簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
「ですから、売れるためにはちゃんと面白いものでないと……」
部長は、はあっ、と見下すように息を吐き、冷たい目で達也を睨みつけた。
「原作に人気のあるうちに出しさえすれば、内容なんか関係なく売れるんだよ。知ってるだろ」
「それはそうですが……。利益だけ追求してていいんでしょうか。社会に対する貢献をするには、買ってくれた人が楽しいと思って遊べるゲームを……」
「青いことを言うな。お前、ここに入って何年だ?」
「六年ですが」
「りっぱな中堅じゃないか。それに、お前にチームを任せている意味が分かっているのか? お前は入社以来、ヒットを何本も出してきた。ヒットとはすなわち売れる商品であり、それは会社の利益だ。つまり、お前は利益を上げることを期待されているんだぞ? 名誉なことじゃないか。余計なことは考えるな。売ることだけに集中しろ。以上だ」
部長はひとしきりまくし立てると、パソコンの画面に視線を戻した。ほとんど物の置かれていない質素な部長室に、キーをたたく音だけが響く。
「部長、数字ばかり見ていて疲れませんか」
「……ん? ああ、まあ目が悪くなってきたのは感じるけどなあ」
嫌味に気付かない部長の前に立ち尽くしながら、達也は子供の頃のことを思い出していた。彼はゲームが大好きだった。ゲームの世界でならいろんな自分になれたし、いろんな世界を体験できた。早く先が見たくて、身を乗り出すようにしてプレイした。あれほど夢中になれたものは他にない。
待ちに待った新作ゲームの発売日のことだった。小学校の帰りにダッシュでゲーム屋に向かい、予約してあったソフトを受け取った達也は、家に帰るなり汗だくの手でゲーム機を起ち上げた。そしてその数分後。彼は呆然と画面を見つめていた。
クソゲー。残念ながらそう呼ばれてしまうゲームソフトが、当時から少なからずあった。見た目だけは面白そうで、やたら自信たっぷりな広告をしているのに、遊んでみると全く面白くないのだ。何ヶ月もかけてコツコツと貯めた彼の小遣いは、一瞬でゴミになってしまった。泣いた。何もする気が起きなかった。喪失感だけが胸いっぱいに広がり、彼を苛(さいな)んだ。だから彼は誓ったのだ。いつかきっとゲームを作る立場になって、自分は面白いものしか作るまい、と。そして念願叶ってゲーム業界でも一、二を争う今の会社に就職を果たしたのだが。
夢を持って始めた仕事への失望。世間では当たり前のようにあることだろう。しかし、これが現実だというのなら。
開発室に戻った達也は窓の外を見た。夕日の中に遠く、キリンのようなシルエットの巨大クレーンが港で作業をしている。その向こう側には、オレンジ色に煌めく海がうねっていた。辛い時も楽しい時も、ずっと見つめてきたこの風景。そろそろ見納めにしてもいいんじゃないだろうか。
「どうしたんですか? 達也さん」
サブリーダーの越早祥治(こしはやしょうじ)が、遠慮がちに声をかけた。
「ん? あれ」
彼が指さす空を、見上げた祥治が、首を振った。
「あれねえ、何でしょうね。なぜか僕ら二人にしか見えない」
「ああやって俺たちを見張ってやがるのさ」
二人はしばし空を見上げていた。
「達也さん、今日はもうあがったらどうですか」
驚いて振り向いた達也に、祥治は微笑みかけた。
「何年一緒にやってると思ってるんですか。気分転換して、また頑張りましょうよ」
「そうか……それがいいかもしれない」
達也は俯いて小さく笑みを浮かべた。
「でもね、達也さん。もしあなたが決断するというのなら、僕は……」
達也は後のことを祥治に任せ、会社を出た。
三十七階から乗り込んだ中層階用エレベーターは、ほんのひとときの考え事をする暇も与えないほどの速さで、二階グランドフロアに到着した。このエレベーターから夕日を見たのは何年ぶりだろう。達也には、真っ暗な海を見ながら帰った記憶しか無かった。