『北鎌倉の夏〜後編〜』-1
親の期待を背負って、数字を追い掛ける受験勉強。
あたしは今日、朝からずっと机と向かい合っていた。
「お勉強は進んでる?」
お祖母ちゃんが、障子をサラ…と開ける。
お盆に乗せられコップに入った冷たそうなカルピスが、隣に置かれている。
「…ありがと。」
これは昔から変わらない。
それがあたしを安心させた。
時代が移り変わっても、
身の回りの環境が変わっても、
あたしが純粋な気持ちを一つずつ失くしても、
ずっと変わらずにあたしに接してくれる人の存在は、すごく大切な気がした。
「集中しているのはいいけど、あまり根気詰めても駄目よ。」
「うん…ありがと。」
やっぱり、ここに来て良かった。
昔と変わらず優しいお祖母ちゃんがいる。
そして、昨日会った人の「またおいで下さい。」という言葉を真に受けている自分がいる。
高遠久人―。
まだ若そうな、端正な顔立ちの、穏やかな笑顔のお坊さん。
「……あーっ、もう!」
なんで、こんなに気になるんだろ。
時計を見ると、もう昼だった。
冷たいカルピスを飲み干し、食事のいい匂いがする居間に入った。
…結局。
昼ご飯の後、あたしはまたあの寺の前まで来ていた。
会ってから何を言おうかなんて、考えてもいなかったけど。
緑の匂いがする。
鼻につくむせ返るような、強い自然の匂い。
都心で暮らすあたしには、新鮮な空気。
その中に、彼はいた。
彼が手に持ったホースから噴き出す水しぶきが、境内の砂利道を濡らしていく。
「あぁ…鷹山さん。」
あたしに気付いた彼は例の穏やかな笑みを浮かべ、ホース元の蛇口を閉めた。