『月光〜届かざる想い〜』-1
やたらと寝苦しい8月、朝7時の電話。
彼が死んだという。
「嘘でしょ。」
私は信じられなかった。
彼が死んだということよりも、彼が死んだ時に、私が何も感じなかったということに――。
霊感なんてちっともないけど、信じていた。
佐倉が死ぬ時はきっと分かる、と。
どんな時も、何処にいても……。
一昨日の21時頃。
私は夫である純と、遅いディナーをとっていた。
2人の仕事が終る時間が合ったので、銀座で待ち合わせをして、趣味はよいがやたらと値段の高い料理に舌鼓を打っていたのだ。
(馬鹿みたいだ。)
私が美味しいものを幸せな気分で食べている時に、佐倉は1人寂しく死んでいったのだ。
首を吊って。
自殺の中で一番確実に死ねる方法は首吊りと『完全自殺マニュアル』に書いてあったと佐倉に教えてしまったことを思い出した。
「美波、お葬式、行くでしょ?」
電話で佐倉の死を連絡してきたのは、大学時代からの親友佳代子だった。
「ええ。」
私は屈辱に耐えていた。
こんな連絡を貰わなくても、私は気付かねばならなかったのに……。
「密葬らしいの。でも私達には来て欲しいって佐倉のお母さんから連絡があった。今日の18時からだから。」
佳代子は事務的に言ってから、
「大丈夫?」
と心配そうな声を出した。
大丈夫なわけがない。私は半身を失ったのだ。
しかしそんなことを言う訳にはいかなかった。電話の後ろでは純が聞き耳をたてている。
「なんのこと?」
とぼけてみると佳代子は小さく溜息をついた。
「好きだったんでしょ?」
「いいえ。」
はっきりと否定して電話を切った。
私と佐倉の関係の全てを一定の距離をとりながら客観的に見てきた佳代子……余計なことを言う。
「誰か亡くなったのかい?」
純が新聞から目を上げずに尋ねてきた。
「ええ。大学時代の友人がね。自殺ですって。」
慌てて新聞から目を離し、純がこちらを見た。
「美波と同じ歳の人?」
「ええ。同じ誕生日でもあったわ。」
大学の英語のクラスのコンパで初めてそれが判明した時、私達は異様に盛り上がった。
「違う両親から生まれただけで、俺達は精神的双子かもしれない。」
酔っ払って飛ばしたことを言う佐倉に、私は本気で頷いた。
きっとそうに違いない、と。
――もう、12年も前の事だ。
「それはなんと言うか……仲の良い友達だったんだね?」
純は言葉に詰まり、下を向いてしまった。
「いいのよ。卒業してから8年間、一度も会っていないくらい疎遠にしていたの。」
嘘だ。
少なくとも1年に1度誕生日には、必ず会っていた。
たった5分の時もあったけれども。
「でも、お葬式には行こうと思っているの。今日仕事を早めに切り上げて。だから帰るのは少し遅くなるわね。」
私の言葉に純は黙って頷いた。
それ以上詮索してこないところがとてもセンスの良い人だと思う。
佐倉も、そういうところがあった。
私が泣いている時も、何も言わずに隣に座って、文庫本を読み始めるような奴だった。
それでも隣にいてくれるというそれだけで、どれだけ救われただろうか。
大学の友人関係で悩んだ時も、なかなか就職が決まらなかった時も、付き合っていた先輩に一方的に振られた時も、佐倉は黙って隣にいてくれた。
しかし、もう佐倉はいないのだ。
私はこれからどうすればいいのだろうか。
佐倉がいないこの世界で、どうやって生きていけばよいのか。
ちっとも分からなかった。