梨花-41
「黒田さん、子供の時小児麻痺にかかったんですって。それでその後遺症が残っているの」
「そうですか。でも全然気が付かなかったから大したことないんじゃないですか?」
「そうよ。気を付けて見てなければ見過ごしてしまう程度なの。だから、どうってこと無いんだけどやっぱり本人にすればコンプレックスなんでしょ。もう極端な出不精なの」
「そうですか」
「それでね。1泊2日で何処か近場の温泉に行きましょうってことになって、梨花さんも一緒にどうかなって思ったの」
「わぁ、それいい。行きたい」
「お前そんな趣味あったの?」
「うん。温泉大好き」
「じゃあ、美子さんが主賓だから、美子さんの都合を聞いてそれから私が連絡取ってみんなの都合を調整するわね」
「ええ。私はいつでもお店なんか休めるから、いつでもいいです」
「そう? まあ、やっぱり土曜か日曜になると思うけど」
「土曜と日曜はお店休みですから」
「そう、それは好都合ね。それじゃ追ってまた電話するわ」
「俺は?」
「何が?」
「俺も行くの?」
「オサム君は駄目。女だけで行くの」
「そうか。女だけで羽根伸ばそうっていうのか」
「そうよ。一晩くらい我慢しなさい」
「別に一晩でなくてもいい。千晩でもいいから連れ出してくれ」
「何言ってるの。甘えん坊の癖に」
「なんで俺が甘えん坊なんだ」
「亡くなったお母さんが言っていたもの。オサムは甘えん坊だからくれぐれもくれぐれもよろしくお願いしますって、病院に行くといつも私に言ってたのよ。あのチャキチャキの江戸っ子で伝法な言葉づかいのお母さんがそんなにして丁寧に頼むのよ」
「お袋がそんなこと言ったのか」
「そうよ。オサム君お母さんが亡くなった時、深夜の2時に息を引き取ったんだけど、何処に電話しても捕まらなくて、まだ未成年のくせに新宿で飲んでいたのよ。とんでもないでしょ」
「まあ。何たる事でしょう」
「だって何時死ぬかそんなこと分からないじゃないか」
「何時死ぬか分からないから普通はいつでも駆けつけられるようにしているものよ」
「オサム、お母さんの死に目にあえなかったの?」
「そうよ。朝の5時頃真っ赤な顔して酔って帰って来たの。それから慌てて病院に来たんだから」
「うん。あの時はしこたま飲んだんだ」
「そうよ。ぷんぷんお酒の匂いさせて霊安室に来たのよ」
「親不孝な息子ね」
「お母さん、最後は意識が無くなって。それでもオサムオサムってオサム君の名前ばかり呼んでいたの」
「もういいよ。その話は何度も聞いたよ」
「この人末っ子だからお母さん余程可愛かったのね。全然お見舞いにも来ないのに私が行くと話すことはオサム君のことばっかり」
「もういい。死んだ人の話はいい」
「偶には行って上げなさいと言うと『そんなに簡単に死にはしない』って言うの」
「死ななくてもお見舞いくらいするもんじゃないの?」
「でしょう? でも、本当はお母さんが弱っている姿を見るのが辛いから行かなかったのよ。私それを知ってるから無理強い出来なくて。今思うと無理強いしなければいけなかったんでしょうけど」
「もういい、もういい。死んだ子の年を数えてもしょうがないと言うだろう。子供だけじゃない。母親だってそうなんだ」
「あんなこと言って。罰あたりね」
「ほんとに罰あたりね。お母さん草場の陰で泣いてるわよ」
「草葉の陰なんて、お前凄い言葉知ってるな」
「そうよ。私国語の先生の妻だもの」
「へえ。恐れ入りやした」