梨花-22
「驚いたわね。世間って分からないものね」
「そうさ。仲が良くて幸せそうに見えたって一皮剥けばそんなもんさ」
「驚いたわねー」
「驚いてんのはお前だけだ」
「私ね、中野の姉さんに『子供出来ないんなら勝手に結婚届け出して、それから指輪買っちゃえばいいのよ』って言われたの」
「それでその気になってそうしたのか?」
「ううん、その気になったけど結婚届けは出してない。流石にそこまでは出来ないもの」
「そうか、それを聞いて安心した」
「やっぱり結婚は厭なの?」
「いやそうじゃない。そうじゃないけどそういうことは勝手にやるもんじゃ無いだろ」
「そうでしょ。私、オサムが案外そういうことにうるさいの知ってるから勝手にやったらまずいと思ったの」
「そういうことにうるさいって、お前、そういうことにうるさくない男がいるか? 勝手に知らんうちに結婚届け出されて『うん、そうかい、そうかい、まあいいよ』っていう奴がいるか?」
「そうじゃないけど、オサム変に頑固な所があるから」
「それは悪かったな。中野の姉さんといつそんな話をしたんだ?」
「うん、あの後次の日に電話が掛かって来たの。オサムどっかの出版社に用があるって出かけてたでしょ、その時」
「それでそんな話をしたのか。お前が結婚したいって言ったのか?」
「ううん、『どうして結婚しないの?』って聞かれたから『子供が出来ないから、何となくずるずる来ちゃって』と言ったの」
「そしたら勝手に籍を入れちまえって言われたのか?」
「そうなの。お姉さんの友達で実際それをやってそのまま夫婦になって今も円満に続いている人がいるんですって」
「中野の姉さんも妙な入れ知恵してくれるもんだな」
「お姉さん責めたらだめよ。だって結局は私が決めてそうしたんだから」
「そうしたって?」
「だから今日のこと。結婚指輪を買ったりしたでしょ」
「ああ、そのことか」
「そう、そのこと」
「それも姉さんの入れ知恵なのか?」
「うん。『男って照れるけど結構指輪を喜ぶもんよ。なんか誇らしげに感じるんじゃない?』って」
「しょうがない姉さんだな。あれはな無類の世話好きなんだ。やっぱり連れていったのは間違いだったな」
「何で? オサム後悔してんの?」
「いや別に」
「だって今連れて行ったのは間違いだったって言ったじゃない」
「いや、連れていったのはいいんだが、あの姉さんについて防御策を講じなかったのが俺の間違いだった」
「厭だ。防御策だなんて、なんかばい菌みたいじゃない」
「ああ。ばい菌みたいなもんだな、あれは」
「そんなこと言って、親戚中でオサムがちょっとは好意を持ってるのあのお姉さんだけなんじゃない」
「別に好意なんて持ってない」
「持ってるわよ。中野の姉さんの話する時だけ、ちょっと言葉も表情も柔らかくなるもん」
「そんなことは無い」
「そんなこと有るわよ。それにとってもいい人じゃない」
「だから世話好きな女なんだ。世話好きだから親切に見えたりするんだが、親切とは違う。あれはただ世話好きで自分がそうしたいからそうしてるだけなんだ」
「そうかなあ。人の世話をするのが好きで、だから人の世話をするってそれが本当の親切なんじゃないの? 好きじゃないけどしょうが無いから世話するっていうよりよっぽど親切のような気がするけどな」
「お前も能書きたれるようになったな。驚いた」
「それでどうする?」
「どうするって何が?」
「だから結婚」
「結婚? お前結婚したいのか?」
「うん」
「誰と?」
「決まってんでしょ。誰とするのよ?」
「それは俺が聞いたこと」
「だからオサムと結婚するの。結婚したいの」
「結婚するとなんかいいことあんのか?」
「中野の姉さんがね、『なんだかんだ言ってもやっぱり結婚っていいわよ』って」
「お前中野の姉さんの言うことなら何でも鵜呑みにするのか?」
「そうじゃ無いけど『そうかもねー』なんて思っちゃったの、私も」
「だから結婚して今と何が変わるんだ」
「まず名字が変わるでしょ? それって保険証かなんかにも影響するんじゃ無い?」
「お前何を考えてんだ? そういう行政手続上のことを聞いてるんじゃ無い。一緒に生活して何不自由なく楽しく暮らしてるだろ、俺達? その上結婚して何かプラスがあんのかって聞いてる」