何でもなかった貴重な日-1
私の住む高台の団地からは、淡路島が見えました。
その日朝食後、私はママチャリを走らせて郊外に出かけました。
そのころ、母親が山村美紗さんの小説に夢中で、全作品を揃える野望をたてていたため、私は母親から「まだ持っていない本のリスト」をあずかって、郊外の書店や古本屋さんをめぐってみようと思ったのです。
午前中に数点の本を手に入れて、ウチへ帰る途中、川にかかる橋の手前で赤信号で止まりました。
「おお、こんな遠い所から 明石海峡大橋の柱のてっぺんがちょっと見えるぞ。」
まだ橋は、海の上に支柱が立っていただけなのです。
とても良いお天気でした。自転車を遠くまで走らせたためか、すこし風を涼しく感じました。
明石天文科学館の近くを通ったとき、「しまった!」と思いました。
プラネタリウムの投影テーマが、自分の好みの 南半球の星空が見られそうな話題だったのです。
「……こんな話題だと知ってたら、見に来たのになぁ。来週くらい見に来られるかな。」
天文科学館は翌日の大地震で内部が大きく損壊してしまいました。
復旧に数年かかりました。
今にして思えば、その日もうすでに大地震がいつ起きてもおかしくない段階にあったのです。
それは午後6時23分ごろ、夕食の最中でした。
父母と妹とで食卓を囲んでいると、家が大きく揺れたのです。
私たちはテレビに注目しました。
当時夕方6時半になると、テレビ各局はローカルニュースになるので、詳しい情報が入るだろうと思ったのです。
しかし、ニュースが始まっても字幕速報すら入りません。
「何やねん。今の地震はウチらの勘違いか。」
「このへんには地震計置いてないんか。」
などとボヤいていると、父親がポツリと言いました。
「神戸も大きな地震とは、無縁な場所ではないらしいな。」
そのころ、兵庫県の猪名川(いながわ)近辺で群発地震が起きていて、不安なニュースになっていたのです。
私もなんとなく言ってしまいました。
「まだ、棚からモノが落ちる地震なんか経験したことないからなぁー。」
これが自分が覚えている、一月十六日の出来事です。