それもまた、未来だった-1
大阪でまた万博が催されると聞いて、テレビのローカルニュースでは当時の映像や思い出などが映し出されていた。
アメリカ館とソ連館の宇宙開発競争の展示、電気通信館の携帯電話、スイス館の二万数千個の電球を灯す「光の樹」……人それぞれに驚かされたパビリオンがあった。
だけど、当時まだガキだった自分の心に大きな衝撃を与えたパビリオンがあった。
「せんい館」だ。
「せんい館」は、まるでゲレンデのようななだらかな曲線を描いた白い屋根の真ん中に、ドームを持った赤い建物が飛び出している外観をしていた。
しかし、その建物には足場が組まれ、足場には作業をしている人の姿が見えるのだ。
近づいて見ると足場も作業員も、建物と同じ赤い色に塗られていて「つくりもの」であることがわかる。
館の前の広場には、郊外の道路沿いに立つ広告のような大きな「せんい館」の看板があったが、それもまた足場が組まれていた。
そして、足場には所々 人の姿に加えて黒いものがある。
それはつくりもののカラスだ。カラスが足場のあちこちに止まっているのだ。
昭和四十五年四月、大阪万博が始まって間もない時期に発行された、サンケイ新聞社出版局の「週刊サンケイ臨時増刊号 EXPO’70の記録」に、この館を訪ねた筒井康隆氏の文章がある。一部を引用してみる。
……足場の上には、数羽のカラスがとまっている。カラスというのはむろん、万国共通の不吉な鳥であって、まあこれをよく万博協会が許可したと思ってぼくはびっくりした。……
館の中に入ると、内部には真ん中の建物を取り巻くような幅の広い廊下が通されていた。
廊下には黒の燕尾服に黒の山高帽をかぶった、一見昔の映画に出てくるアメリカのギャングみたいな装いの大きな人形がいくつも並んで立っている。
みんな同じ背丈、同じ服、同じ顔でずらりと並ぶ光景は何か異様な儀式の参列者のようだった。
この男たちの帽子には、小さな反射鏡が取り付けられていて、壁から照射される赤いレーザー光線をはね返して「あやとり」をするなんて仕掛けがあったらしい。
だけどガキだった自分は、この人形の身体に耳を当てると、何かボソボソつぶやいてるのが聞こえるのが面白かった。
廊下の天井は高く、見上げると カラスをはじめ大きな鳥の模型が吊るされていた。
大きな鳥の中には、足だけ人間の足になってるものもあった。何か不気味だった。