発病から-1
ソーシャルネットワーキングのサイトを適当に閲覧していた時、小学生のライブ放送が目に留まった。六年生か五年生か、もしかしたら中学一年生かもしれない。思春期の重みのまだ体にない、美しい亜麻色の髪の子だった。肌はクリームのように白い。取り敢えず挨拶を送って、しばらく眺めていたら、他の閲覧者の口車に乗せられてか、それとも既に常習していたのか知らないが、女の子は堂々と裸になり始めた。見る間に全裸になった。そしてカメラに性器が当たるほど近づけて見せた。性能の良いカメラは、産毛の先まで鮮明に映して、肌の細かい皺のあいだを、画面一杯広げて見せた。
私は子供に称賛の言葉をいくつも送った。それは拙い外国語の語彙を繋げたものに過ぎなかったが、心からの喜びを表す、漏れ出た本当の言葉だった。
私の端末の大きな画面に、実物の百倍もの大きさで、女の子の肛門だけが映し出された。大輪の向日葵を間近に見せつけられたような迫力があった。しかし清しさの喜びはなく、むしろ生き物の内奥にある貪婪な食欲に揺さぶりかける生臭さだった。めまいに襲われたようにそれがぐらりと揺れて動くと、今度は、子供らしい性器が薔薇色に咲いた。一面濡れた内側だけでなく、裂け目を包んでいる肌も、なめくじに似た優しい湿り方だった。
私は夢中で、動く画面を端末本体に取り込んだ。女の子は、一度こちらに振り向き、閲覧者たちのメッセージを確認しながら、にこやかに明るく微笑んだ。そうして私の登録名を声に出して呼んだ。
「ありがとう! 見えた?」
外国の言葉がすんなり耳に入ってくる。両手の指でハートを作った女の子は、またカメラに尻を向け直した。
しかし、画面は突如プロフィール画像に変化した。放送が打ち切られたようだった。恐らく誰かに違反報告でもされたのだろう。
意志も神経も、女の子に過度に集中していた私は、その途端、魂の、この世との繋がりをねじ切られたように感じた。好きな事に取り組んでさえ、鬱は悪化するものだということをまるで忘れていたのだった。ベッドへ移るのも重苦しく、私はその場に寝崩れた。
窓から射し込む日の光に痛みと重みを感じる。起きようか。体を起こすのが億劫でならない。空腹かどうなのかもよく分からない。食事のことを想像したら、それだけで、面倒だと気が滅入った。
しかし私を尿意が動かした。便所まで歩く気の到底なかった私は、水を飲んだ空き瓶に用を足した。この瞬間ばかりは楽になった。
目覚めれば、忽ち世の中が私を圧倒する。あらゆる恐ろしさに現実味があった。自分の存在する事そのままが恐怖だった。価値や意味、責任や大切な事柄、そんなものの全てから逃げ出したかった。
偶然触れた腕が、端末をスリープ状態から起動させた。スクリーンは昨日のまま、女の子のプロフィール画面だった。
私は飢えに近い逼迫した気分で、録画した女の子が見たくなった。見ればまた疲弊するのだろうが、たとえ倒れてしまっても、喜びの得られる唯一のものを置いてはおけないと思った。私の弱い生命感覚は、今や、四十も歳下の女の子の尻の穴だけに支えられていた。
気がつくと、昨日にはなかったメッセージ通知のアイコンが点滅している。開いたら、外国語で
「昨日言ったことは本当? アドレスに連絡して。リディヤ」
女の子のアドレスが書かれてあった。溢れる喜びに一瞬わたしの心は沸き返ったものの、一転、暗い結末が喜びを塗り潰すがごとくに想像された。
大して出来るわけでもない外国語。向こうは知らない年齢差。せいぜい数回画像が送られての没交渉。
それでもなお、女の子は魅力的だった。私は飾らず返信をした。知らない文法は英語にしておいた。
「ハジメより。連絡嬉しかった。言った言葉は全部本当。私は五十歳の男。役所に勤め。今は鬱病。一人暮らし。君はわたしの知っている the most beautiful 女の子。愛してるよ。」
それだけ書いて、私はまた眠りに落ちた。
それ以来、女の子のライブ放送は無くなった。その代わり、私の元へ毎日、動画が直接、女の子から送られてくるようになった。日に三本も四本も動画は送られてきた。
こちらは、気力も体力もないので、顔の写った短い動画に、短い言葉を添えただけのものを返した。一週間もしたら、女の子の体に知らない所が無くなった。撮影のうまくなった女の子は、恐らく最新の機種の最高の画質で、おしっこの多角的接写に成功した。
女の子の裸を眺めることしか、実際、私にはできなかった。酒と薬を飲み、日に一度、野菜だけの食事をし、そして眠る。毎日はそれだけになった。