記憶とstrawberry-1
「私は未来からやって来ました」と男は言った。
「へえ」とアタシは言う。だって、そんな話を真に受ける奴なんている訳がないし、真剣に反論する奴だっていないだろうし。
だから、アタシはそっけなく聞き流す事にした。ちょっと頭がおかしそうだし、話をしたくないな、と正直思っていた。
「未来と言っても、それほど遠い未来、という訳ではありません」
男は、アタシの反応なんておかまいなしに喋り続ける。
「二十年くらいかな? そうです。私は、君にとっての二十年後の世界からやって来ました」
「信じられると思う?」アタシは仕方なく相槌を打つ。どうせ一人で飲みに来ていたのだし、話し相手がいなくて少々物足りないと思っていたのも、また事実だった。
それにしても、とアタシは思う。よりによって、こんなヤツが話し相手だなんて。
アタシは小さく溜め息をついて、髪をかき上げ、パッソアオレンジを一口飲む。
「それよりも、姫百合明日香さん、最近、何か困った事はありませんか?」
男の言葉に、アタシは凍りつく。何故アタシの名前を知っている? 男の顔をまじまじと見つめてみる。男は四十代前半というところ。小柄な体型で、髪にパーマをかけている。元々が端正な顔立ちのためか、なかなか似合っている。もし、今より十歳程若ければ、結構タイプかもしれないな、とアタシは思う。
けれど、男の顔をどれだけ注意深く眺めたところで、何の意味もない事に気がつき、アタシは視線を逸らした。
「姫百合さんは、二十歳でしたね?」
「まあ、そんなところ」とアタシは言う。まだ十九だったが、どちらにせよ後三か月で二十歳だし、大した違いはない。「ねえ、おじさんさ、アタシの事知っているみたいだし、もしかしたら仲良かったのかもしれないけど、残念ながらアタシは全然覚えてないから」「それは、何故ですか?」男はウーロン茶を飲み干す。
「アタシは記憶喪失みたいなの。自分の名前と、年齢と、血液型以外、自分についてはおろか、知人、友人、何も覚えてない」
「そりゃ大変だ」男は心から気の毒そうな言い方をした。どうやら、アタシを結構気遣ってくれるところを見ると、割とアタシとこの男は仲が良かったのかもしれない。そんな事を考えていると、「それじゃ、そろそろ行きましょう」と、男は唐突に言うと、席を立った。
「行くって、ドコに?」アタシは驚いて顔を上げる。
「どこって、苺狩りに決まっているじゃないですか」男は呆れた顔。
「なんでアタシが苺狩りなんかに……」アタシは泣きそうだった。なんだか、話が良く分らない方向に流れているような気がする。
「苺、嫌いですか?」
「そりゃ好きだけど…」
「では、行きますか」
アタシは九十五パーセント自棄になって、席を立つ。
男に会計を任せて、店の外に出る。
「でもさ、おじさん。もう夜中だよ? それなのに、苺狩り?」
「果樹園までは遠いですから」
「おじさんさ、変わってるって言われない?」
「言われません」
絶対ウソだ、とアタシは心の中で呟く。
車は高速を時速120kで走っている。アタシはカーステレオから聞こえる音楽を、聞くともなく聞き、窓の外の景色を見るともなく眺めていた。
車はアタシを全然知らないどこかの町の、果樹園なんかに連れて行こうとしている。
なんだか、不安になる。アタシはハンドルを握る男の横顔を見つめる。彼は機嫌よく音楽のリズムに合わせて首を僅かに振っていた。アタシの気なんか知らず、いい気なもんだ。アタシはわざとに大きく溜め息をついて、目を閉じた。