記憶とstrawberry-4
ヒメユリ アスカ。
アタシの名前。岩に彫られていたのは、他でもない、アタシの名前だった。
突然アタシが寒気に襲われたのは、雨に濡れたせいばかりではない。
「これ…」
「貴女の墓石です」
「どうして? だって、アタシは現にこうしているのに……ああ、もしかしたら、同姓同名の誰かなんだ。そうだよね? ねえ」
「落ち着いてください」男はなだめるように言った。「ここは貴女の墓です。けれど、貴女がこうして生きているのも事実ですが」
「どういう事?」
「とりあえず、車に戻りましょう。雨も降っているし。その前に」男は言いながら、ポケットの中から金槌を取り出す。そして、男はアタシの墓石を破壊する。当然だ。だって、アタシは間違いなく生きているのだ。アタシの墓石など必要ない。
車に揺られながら、アタシはコンビニで買った緑茶を飲んでいる。
「お茶には、リラックス効果があるんです」男はハンドルを握ったまま喋る。視線はフロンガラスの向こう側。「落ち着きましたか?」
「話を聞くまでは落ち着けない!」ちょっぴり拗ねてアタシは言う。「ねえ、話して。アタシは何者で、あなたは何者なの?」
「昔、大好きな女性がいました」男は、相変わらず前を向いたまま喋り始める。「高校の頃です。ある日、私はその女の子に呼び出されました。春の終わりの、陽気な午後です。話があるから、校門の前で待ってるからと、彼女は言いました。私はドキドキして、その日の授業なんか全然耳に入らなかった。早く彼女の話を聞きたいと思った。かしこまって話があるなんて、まるで愛の告白をするみたいじゃないですか。そうでなくても、相手は私の大好きな女の子なんです」
アタシは目を閉じて、若かりし日の男の姿を想像する。男は続ける。
「やがて、約束の時間が来ました。私はドキドキしながら校門へ向かいました。彼女は確かにそこに待っていて、私は一体どんな顔で彼女に会えばいいのか、そんな事を考えながら彼女の前に立ちました。彼女も、どぎまぎしていて、なんだか居心地の悪い雰囲気のまま、時間だけが流れました。仕方なく、私は何か話があるんですよね、というような事を口にして、それが引き金となって、彼女は震える声で、ひどく緊張しながら、私に愛を伝えました。シンプルな告白。好きだから、付き合って欲しいと。本当は、色々と言葉を考えていたんだろうな、そう私は思いました。……だから、あの時私は言ったんですよ。『大変申し訳ございません』ってね。緊張のせいで、何故だかよそよそしい言葉で」
アタシは緑茶を飲み込む。どこかで聞いた話だとアタシは思う。いや、実は、ちゃんとアタシは、それがあの夢の中の出来事と類似している事に気付いている。だが、それでは妙ではないか。何故、アタシが男の思い出話に登場するのだ?
「私は彼女と恋人になりました」男は再び話始め、アタシは疑問を中断して、それに耳を傾ける。
「映画を見に行ったり、アイスクリームを食べたり。楽しい日々が続いていました。ある日、彼女は言いました。苺狩りに行きたいと。私達は、七月になったら苺狩りに行こうと約束したんです。ところが、その日を待たずして、彼女は忽然と姿を消したんです。まるで、始めから彼女なんて存在していなかったんじゃないか、そう思ってしまうくらいに、何の前触れもなく。私は混乱しました。毎日街へ彼女を探しに行きました。彼女の両親も、警察も彼女を探しました。でも、結局誰一人として彼女を発見する事なんて出来なかった。私は、仕方なく彼女は死んでしまったのだと思う事にしました。だって、人が突然消えてしまう事なんてある訳がないじゃないですか。だから、私はこう思う事にしたんです。彼女は何かのトラブルに巻き込まれ、人知れずどこかで死んでしまったのだと。私は彼女の好きだった丘に岩を埋めて、それを彼女の墓石としました。そうする事で、なんとか彼女がいなくなってしまったという事実を受け入れようとしました」
話が途切れ、恐る恐るアタシは疑問を口にする。