第一話-9
自分の知る母、綾乃でなく、作家になる前の寿明を支え続けた、女として綾乃の生き様に思いを巡らせ、自分もそんな生き方がしたいと強く願った。
(もっと早く生まれてたら、こんなに苦しむ必要もなかったのに。)
綾乃の娘としてじゃない、一人の女性として自由に人を愛せたらと、思えてならなかった。
その時である。思いに耽る史乃を、現実に引き戻すべくスマホが鳴った。
(きっと、お父さんだわ!)
史乃は慌ててスマホを握り、通話ボタンを押した途端、感情が口を吐いた。
「お父さん!今、何処にいるの!?」
「えっ?もう終わったんじゃなかったの。」
だが、史乃の思いとは裏腹に、声の主は由美だった。彼女の耳にも落胆ぶりが有り々と判る程、史乃のため息が聞こえた。
「ご、ごめん!つい。」
「気にしなくていいわよ。史乃が落ち込むのも無理ないわ。」
由美は、無事に終えたであろう記念日の感想を聞きたくて連絡したそうで、状況を把握した今、史乃を励まそうと話題を切り替えた。
史乃にとっても、由美の存在はありがたかった。
寿明の帰りを待ちこがれ、一人悶々としている時より、気持ちが少し楽になった。
「──ところでさ。作家さんて、大変なんでしょう?」
「そうみたい。しょっちゅう取材に出掛けたり、出版社さんとの打ち合わせで忙しいみたい。」
「気難しかったりするの?作家さんって、そんなイメージだから。」
「そんな事ないと思うけど……。最初の頃は、服装に厳しかったかな。露出が多いって。」
他愛ない会話は十分ほど続いた。
切り際に、由美の「頑張ってね!」という声が耳に届いた。が、史乃は発言の意図が判らず、唯、不可解そうな顔で通話を切った。
電話を終えたスマホに、今日が残り十分だと示されていた。
(私も、電話してみようかな。)
史乃の中で、今度は不安が頭をもたげた。
これまでも、約束事に間に合わない場合も多々、あったが、その際、寿明は必ず連絡を入れてくれたのが、今日に限っては何の連絡もない。
ひょっとして何か有ったのではと、余計な事を考えてしまう。
仕事だからと、ずっと我慢してきた史乃だが、不安に煽られて抑え切れなくなった。
「電話してみよう!」
言うが早いか、史乃はスマホの通話ボタンを押していた。
(お父さん……。お願い早く出て。)
願う史乃の耳許で、無情にもスマホは呼び出しコールを鳴らし続けている。不安は益々、大きくなっていく。
その時である。訪問者の存在を告げるチャイムが、何度となく鳴った。
「ひっ!」
史乃は思わず、悲鳴を挙げた。
こんな夜更けに訪れる者など、あろう筈がない。