第五話-8
如何程の時間が経った頃か、伝一郎は、其の目を覚ました。
(ど、何処だ?此処は。)
目を開けた算りだが、漆黒に覆われているのか、何も見えない。朦然とする意識の中で、冷たく湿った床と、時折、頬に当たる涼風を感じていた。
(虫の声がしない。其れに、此の黴(かび)臭さと来たら……。地下室か?)
暫くして夜目が利くに至ると、漸く意識も判然と為り、自分が何処に居るのかを理解した。
「彼の時、父様に斬り付けられて……。」
そう云って身を起こそうとした途端、
「があ!……。くう。」
背中に苛烈為る痛みが走り、伝一郎は、其の場に倒れ込む。息をする度に、身体が軋む様に辛い。
(此の様子では、肉は勿論、肋(あばら)にも罅(ひび)が入ってそうだな。)
少しずつ記憶が甦る。逃げようと振り返った刹那、風切り音と共に背中を衝撃が襲い、そのまゝ卒倒したのだ。
(そうか。気を失ったまゝ、地下室にでも閉じ込められたと云う事か……。)
絶え々の息のまゝ緩々と身を捩ると、暗闇の高い位置に月明かりが射し込む小窓が伺えた。
(小窓迄の距離感と気配からすると、部屋の広さは六畳って処か。)
其処は今も、伝衛門に楯突く者共を街より排斥する為、捕らえて歯向かう心を挫く迄、嬲り続ける折檻部屋として用いていた。
(閉じ込められてる上に、此の怪我では身動きが取れないな。)
伝一郎は瞼を閉じ、再び眠ろうと試みる。
痛みは勿論、街中の散策や夕子と二回もの情交、其れに貴子との不義も含め、思いの外、憔悴し切っていた自分に気付いた。
然るに、先ずは、痛みが和らげる事と、体力の回復を図るべきとする結論に至ったので有る。
(腹も減ったが、明日の朝には、飯位は出してくれるだろう。)
伝一郎は、二日、三日の監禁だろうと、高を括っていた。
殺す心算りなら、最初から彼の場面で峰打ちなどにせず、斬られていた筈だと。
昨夜迄の柔らかくて温かい寝床と違い、固くて埃臭く、湿潤為る場所では有るが、伝一郎は眠りに就こうとした。
丁度、小窓の向こうからか虫の鳴き声が聞こえて来る。未だ、季節は夏だと云うのに、鳴き声は秋を告げる虫の其れだ。
頭の中で、赤蜻蛉を見付けた夕子の綻ぶ笑顔が、有り々と浮かんで来た。
(斯様な場所でも、秋の訪れを感じられるとはなあ。)
心が和み、気持ちが穏やかになる。伝一郎の意識が、ゆっくりと眠りに落ちようとする。
その時で有る。
「で、伝一郎様!御無事ですか!?」
何と。施錠を解く様な煩雑音と共に、夕子の甲高い叫び声が聞こえて来たではないか。
「ガラパゴス・ファミリー」前編第五話〜惜別U〜完
※1女陰 :女性器
※2嫁娶 :結婚
※3花門 :膣口
※4漿水 :愛液と精液の混濁液
※5常磐色 :明るい緑色
※6丹色 :明るい朱色
※7詩 :石川啄木「一握の砂」より抜粋
※8糧袋 :麻袋(南京袋)
※9下女 :召し使い
※10弐拾圓:現在の約26,000円
※11真朱 :濃い朱色
※12三貫目:約11.2Kg
※13同衾 :性行為
※14按排 :手筈する
※15不佞 :インポ○ンツ