第五話-6
九十九(つづら)折れの径(みち)を登り、邸に到着した一行を女給達が出迎えた。
平素なら下っ端一人か二人の所を、女給長を筆頭に暁子や亮子と云う中堅女給が玄関前に並んでいるばかりか、一応に神妙な面持ちなのは、主で有る伝衛門の。
「──じゃあ、後は頼むよ。」
伝一郎は、土産を夕子に託(ことず)けると、立ち並ぶ女給達には目もくれず、邸の中へと向かった。
(伝一郎様……。)
扉を潜り、姿が消えた辺りを、夕子はずっと見詰めていた。
「もう遊びも終わりだ。御前も早々に着替えて、務めに掛かれ。」
香山からの容赦無い当て擦り──。上機嫌だと普通だが、臍(へそ)を曲げていると執拗に嬲(なぶ)ろうとする。典型的な、小心者の狡獪者だと、新米の夕子にも知れた処で有る。
しかし、夕子は唯々諾々に従うしか無い。彼女は下女で有り、香山は執事として此処の下男下女を束ねる役回りだから。
「夕子!手伝うよ。」
重美が、夕子の傍に駆け寄って来た。
「重美姉さん?」
「伝一郎様が、手伝ってやってくれって。」
去り際に自分の身体を案じ、頼んでくれたのだろう。そう思う夕子の胸は熱く為った。
伝衛門が待つ部屋迄の途中、伝一郎は思いを馳せる──。鉱山火事の報せに覚えが無かった事は、舟宿に居たと考えれば辻褄は合う。慥(たし)かに、報せを知らなくても鉱山火事の発生は、黒烟(けむり)と陽炎の存在から事前に判っていた。
「覆水盆に返らず……か。」
彼の際に現場へ向かったならば、結果は違っていたかも知れない。が、終わった事を彼是と思い悩んでも、事態が好転する筈も無い。
(だからと云って、父様に従うのも香山の思う壺の様で、癪に障ると云うものだ。)
伝一郎の肚は決まった──。如何様な結果と成るかは判らないが、聢(しっか)りと申し開きをし、香山と貴子の不義が如何なる動機だったかを詳(つまび)らかにして諌める事こそ、今後の田沢家を安泰にする為、必須で有ると結論付けた。
しかし、事は伝一郎が考える程、単純では無かった。
「父様!伝一郎です。」
覚悟を決めた伝一郎は、部屋の扉を叩いた。
程無く、荒(さ)びを含んだ「入れ!」と云う声が耳に届き、伝一郎は、徐(やお)ら扉を引いた。
先日と違い、煌々と明かりに照らされ、其の明かりが翳る程、部屋は紫煙で烟(けぶ)っており、奥に位置する机の向こうで、厳しい形相の伝衛門が伝一郎を睨め付けていた。
「貴様。何故、此処に呼ばれたのか判っておろうな?」
父親の問質しに、伝一郎は躊躇(たじろ)ぎも見せずに答える。
「鉱山火事の警笛に気付かず、街で遊び惚けていたからと、香山に聞き及んでいます。」
「認めるのだな?」
明かりに浮かび上がる伝衛門の形相は、更に凄みを増して行く。其の顔に何れだけの野鄙(やひ)為る坑夫共が畏怖した事か。
しかし、伝一郎は、そんな父親の相貌から眼を逸らしもせず、聢りと見据えていた。
「慥かに、報せを聞いた覚えは有りません。街外れに居ましたから。しかし、街に出たのは、早急に義母様を病院に御連れする為の策を講じた故の事。
此の件を蔑ろにして譏(そし)られた挙げ句、咎めを受けるのは納得が行きません。何より、義母様の気が狂れたのは、父様の等閑(なおざり)さも一因では有りませんか。」
伝一郎は、一気に捲し立てた。
命迄、取られる話では無い。だったら、腹の中に有る痼(しこ)りを破り、伝衛門の面前で曝してやろうと息巻いた。
正に、父と息子の対決で有る。
しかし、伝衛門は、そう捉えていなかった。
「云いたい事は、それだけか?」
そう訊ねる伝衛門の相貌は一変し、遍(あまね)く感情の消え失せた能面の如き形相──数え切れない程の人を殺めて来た、そんな顔に為った。