亜美-1
なぎさ出版というのは殆ど世間に名前を知られていないが、各種月刊誌を多数出版している会社である。それら月刊誌の名前をいくつか言えば世間の人は驚くに違いない。固いものから柔らかいもの、思想的に右のものから左のものと極めて幅広く多数の雑誌を出しているのである。その為になぎさ出版は多数の子会社を所有している。固いもので右のものはA出版社から、左のものはB出版社から、女性向けのものはC出版社から、柔らかいものは別の会社からという具合に使い分けている。しかしそれら子会社の社員は全員なぎさ出版から出向という形になっていて、子会社固有の社員というのはいない。しかも子会社の社屋や事務所には、なぎさ出版の名前を一切出していないからそれらの雑誌となぎさ出版を結びつけてイメージされないように極力配慮していることが分かる。
中田誠司は名もない大学をまあまあの成績で卒業してなぎさ出版に就職した。就職したくらいだからなぎさ出版が『総合情報』という総合雑誌を出版している会社であることは知っていた。この雑誌は新聞のように政治・外交・内外のニュースから芸能・趣味に至るまであらゆる方面に亘って新聞よりも掘り下げた面白い記事を満載している月刊誌で、大抵の図書館に収められている。固定読者も多く、いわばなぎさ出版のメインフラッグのような雑誌だが、なぎさ書房という会社から出版されている。なぎさ書房がなぎさ出版の子会社であることは会社の名前だけからでも明らかである。
入社後の研修開けの面接の時に希望の方面を聞かれたので「あまり固い方面は苦手です」と答えた。古今東西の錠前とか西洋アンティーク・ドール、ブリキのおもちゃなど様々なコレクターを訪問してインタビューする続き記事が『総合情報』の中にあり、政治や経済や学問の世界に関係する仕事よりも、そういった雑学的なことを扱う仕事をしたかった。そんなつもりで「あまり固い方面は苦手です」と答えたのである。
ところが研修開けに配属されたのは蝶書房という所であった。新宿御苑に近い蝶書房の事務所に翌日出社するとスタッフは男が3人、女が1人の小所帯だった。1人が中年の他は皆若くて女性社員はなかなか魅力的な感じだった。簡単な挨拶の後、早速朝から歓迎会と称して飲み食いし始めたのには驚いた。とは言っても缶入りの焼酎とコンビニで買ったハムとかの類である。
「中田君、蝶書房の出版物を知っているか?」
「さあ、済みません。不勉強で・・・」
「会社の名前は知らなくともサム・アンド・マリーって雑誌は知ってるだろう」
「サム・アンド・マリーですか?」
「知らない? それじゃボトム通信は?」
「ボトム通信ですか? えーと、何か固そうな雑誌ですねー」
すると全員が爆笑した。 赤尾礼子という女性社員が手元の机の上から2冊雑誌を取って誠司に渡した。両方とも表紙を見ただけではどんな雑誌か分からない作りだったが、開いてみるとグラビア写真でどんな類のものか直ぐに分かった。サム・アンド・マリーの方には裸で縛られた女性の写真が載っていたし、ボトム通信の方にはヒモと言うより糸みたいに細いTバックを穿いた女性の尻の拡大写真が載っていた。サム・アンド・マリーというのはSとMに適当な言葉を割り振って作ったSM雑誌のタイトルであり、ボトム通信というのはボトム、つまり尻を中心にフェティシズムを追求した雑誌だということだった。これは大変な所に配属されたという気持ちが顔に現れたのだろう。