君と僕との狂騒曲-25
ここでちょっとシニアスカウトのメンバーを紹介しなくてはならない。
まず「親方」である大木先輩。大学で少林寺拳法をやっており、全国にも広く知られた無敵の格闘家だ。実際に夕方スカウトハウスで催された説得の現場に遅れたのは、トンボ眼鏡のカップルにいちゃもんを付けている不良大学生を三人同時に眠らせて来たばかりだったから。
そして大学は異なるが、やはり少林寺拳法の大槻先輩。そしてかの偉大な老ボーイスカウト松沢様の子息である松沢先輩の三人。
三人というが、その迫力は倍の六人と計算してもおかしくない。とにかく恐ろしい三人組である。松沢先輩は暴力では他の二人に劣るが、話術巧みにして誠実、尊敬するに値する立派な先輩である。親方大木先輩、大槻先輩は、場合によっては「ちょっと外に出ろ」になってしまうし、僕たち四人はすでに呑まれていた。
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「つまり、一生の問題なんだよ」松沢先輩が言う。
「ここでお前等が引っ込んじゃ、必ず後悔する。ああ、間違いなくそうなる。40、50にもなってから行けば良かったって言っても取り返しはつかねえんだ」
「そうだ、そうだ。」大木先輩と大槻先輩が相づちを打つ。大木先輩は黒いセルの眼鏡をかけているからまだいいが、大槻先輩の目は完全にカツアゲ状態である。
松沢先輩は僕たちに人差し指をめぐらし、「人間、一週間でいきなり頭が良くなるかよ。ええ?」僕たちは俯いてしまう。バッカーノを除いて。バッカーノはサッカーでもうとっくに高校は内定しているから、もう十分に裏切り者である。ひでえ野郎だ。
「僕は行きます」ええっと振り返ると、凛とした瞳でしっかり先輩を見据えて腕を組んだ君が居た。僕と大串は顔を向き合わせて、「もはやこれまで」とあきらめた。
なるほど、君は「やると決めたらどこまでも」の人だったっけ。僕はふと右奥の襖を見つめた。今夜はどっちで勉強するのかな。シレーヌやロートレアモンが受験に出てくればの話だが。
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猛然とトラックは強い風にみまわれ、砂場から逃げ出すように草場に身を隠す。ハットがいくつも砂塵の中に飛ばされている。
薄曇りの空の下、三万人ものスカウト達がうごめいている。僕は「戦争」を体験している。しかも白兵戦だ。いまさらながら戦争が敵との戦いだけではなかった事を知る。自然をいかにして味方にするかが問題だ。スカウトの構造は軍隊のそれでもあるが、本物に比べればさすがに軟弱だ。命令系統が麻痺している。それでも次第に統制が取れ始めた。
きれいごと抜きで、階級もくそもなくなれば、実力のある人間が中心になる。この世界何千年もの歴史に横たわる「摂理」というものだ。僕らの地区の混合団では、やはり大木先輩が風の中、岩のように丘の上にそそり立ち、大槻先輩がちょいと捻ってやれば事は足りた。細かいところは松沢先輩、そして僕ら四人がしもべとなる。
地区のラリーなんかは派手にやる連中が、実技になるとこれほどかと呆れるぐらい無能であることを知る。連中が綺麗な部屋で八の字結びをやっている間、僕らは地上30mの崖の上で片手で身体を支え、片手で「もやい」を結んでいた。連中が鯖のみそ漬けの缶を開けていたとき、僕らは魚を三枚におろしていた。連中が平謝りしていた頃、僕は左目の周りを青黒くして薪を拾って来た。
そのせいか、多摩一団のプライドか、僕は今までになく躁病的に、言い換えれば「どう猛」になっていた。そう、その年の日本ジャンボリーは猛烈に心が熱いジャンボリーだった。なにしろ全員知らない奴ばっかりだったのだ。知らない奴と付き合うファーストコンタクトは敵意と暴力だ。
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朝霧高原と言うところはとにかく風を遮るものがなにひとつない。小さな丘がいくつも無数に広がり、砂が蜘蛛の巣のような道を作っている。大木・大槻の巨頭はどこから持ってきたものか、直径20mm、全長300mmにもなる尻がUの字になっている重い金具を配り歩き、工事用のばかでかいハンマーを持ってその「ペグ」を打つ。
見事なもので、風上からテントを建て、まずは風の力を分散させていた。
最後に最も風のあたらない場所にドラム缶のかまどと、運動会で使われそうなパイプと屋根だけで作られた食堂を建て、頑丈なロープと例の巨大ペグで強力に固定した。
「おう、ちゃんぴ、支柱支えろ」
「おう、ぴんけ、水路掘れこら」
「おう、ちんけ、マキがあるそうじゃけ、持てるだけかっぱらって来い」
大木先輩が僕の名前を(あだ名だけど)言ったためしはない。でも、冗談を言う人ではないし、ひとをおちょくる柄でもない。大まじめに僕は「ちゃんけ」になる。意味が通るんだから、まあそれで問題はないが。