樹理-1
「おい、泣いてるのかよ。参ったなあ」
「・・・」
「頼むよ。人が見てるじゃないか。僕が泣かせてるみたいに思われちゃう」
「あんたが泣かせてるんじゃない」
「僕が? 何で?」
「白々しい」
「酔ってるの? あっ、酔ってない、酔ってない。分かったよ。この間のことで怒ってるのか?」
「当たり前よ」
「そうかなあ。それじゃまあ悪かった、謝るよ」
「全然悪かったと思って無いじゃない」
「ほら、とにかく拭けよ。そんなボロボロ涙こぼすなよ」
雅也はハンカチを出して渡そうとしたのに樹理はそれを邪険に振り払って立ち上がろうとした。雅也が「待てよ」と言って肩を押さえようとしたら樹理が体を捻って手をよけたので雅也の手は空中を一泳ぎしてから故意か偶然か、大きな樹理の胸の膨らみをスポッと掴んだ。
「あっ、ご免。変な所掴んじゃった」
「放してよ」
「あっ。驚いちゃって手が凍っちゃった」
「化粧直ししてくるんだから放してよ。いつまで掴んでるのよ」
「そうだな。せっかくの美人が泣いていたんじゃ台無しだ」
「そんなこと言っても駄目よ」
雅也は床に落ちているハンカチを拾ってポケットにしまうと自分で水割りを作って飲んだ。
樹理は戻ってくると如何にも乱暴にドサッと座った。
「ノーブラみたいだったけど、そうなの?」
「関係無いでしょ、そんなこと」
「うん。関係はないけどノーブラなのかなと思って」
「ノーブラよ。あれだけ掴んでて分からないの?」
「やっぱりそうか」
「良くもずうずうしく来れたわね」
「何で?」
「何でってことは無いでしょ。この間は何で帰っちゃったのよ。しかも久美ちゃんと帰ったの知ってんだから」
「いや。だからあれはね」
「私の誕生日だったでしょ?」
「だからプレゼント持ってきたじゃないか」
「プレゼントはいいけど、何でそれだけで済ませて帰るのよ。しかも久美ちゃんと。あんまりじゃないの」
「あれはつまり、一緒に帰ろうと思って誘うつもりでいたんだけど、誕生日だから他にもいっぱい君のお客が来てたじゃないか。僕みたいなニューカマーが誕生日に誘ってもとても無理だろうと思って」
「何カマだって?」
「ニューカマー、つまり新参者」
「シンザンシャって何? 私に分かる言葉使いなさいよ。教養あったらホステスなんかしてないんだから」
「つまり樹理と知り合ったのは比較的最近のことだろう、僕は? 誕生日なんて言ったらきっとお客さんがいっぱい来てるんだろうなと思ったら案の定いっぱい来てたから、僕より古くからの馴染みのお客もいるに違いないと思って遠慮したんだよ」
「古いか新しいかなんて関係無いでしょ。私の気持ちは分かってんでしょ?」
「いやまあ、好きだ、愛してると言ってくれてるのは知ってるけど、それはいわば仕事のうちだろう?」
「そんなことも分からないの? お愛想で言ってるのと本気で言ってるのと、聞いててどうして分からないのよ」
「いやあ、本気みたいだとは思ったけど自惚れちゃあいけないからね」
「それにしても久美ちゃんと帰るのは酷いじゃないの。久美ちゃんは私の友達なのよ。友達に手を出すなんて仁義に反するじゃないの」
「手を出すなんて人聞きの悪いことを言うなあ。一緒に食事しに行っただけだよ」
「それじゃ何で久美ちゃんは店を辞めたのよ。しかも私に黙って」
「さあ。どうしてなんだろう」
「惚けたって駄目よ。それじゃ今日はどうして久美ちゃん指名しなかったのよ。辞めたこと知ってたからでしょ? いつも私と久美ちゃんとダブルで指名してたじゃないの。どうして今日に限って私だけなのよ」
「いや、久美ちゃんも指名したよ。そしたら辞めましたって言うから」