夏の終わりのサマーフェス──廻天百眼は降臨する-1
「あんた達はねえ、前座の中頃になる。贅沢は許さない」
でっぷりと太ったプロモーターが業界人独特のサングラスに口髭という典型的なスタイルで、椅子を逆にして由子達に向かい合っていた。
「あらら、私たち、お金はある方だし、その世界を驚かせる話題にも事欠かないのよ」
由子は毅然として言った。
「ま、PAは譲れないわ。どうしても私たち専属の人を使って貰う」
「馬鹿を言うな。そんなことをしたらスタッフが混乱する。オムニバスなんだから、宴会のパック料金とサービスみたいな物でね。こちらのスタッフに任せて貰おうか」
「さあて、どうかしら。トニー・富岡の下でなら、誰だって喜んで働くし、富岡以上のPAオペレータがこの日本に居るのかしらね」
業界の叔父さんのサングラスが一センチはずり落ちた。
「T・Tはガガのサポートでアメリカのツアーの最中のはずだが」
「今日、昼には成田に来るわ。私たちの仕事が終わったら、私のパパの専用機で帰らせるわ。答えはイエスかノーでお願い。でも、あなたもこの業界でいい顔になりたいんじゃない?」
「……もし本当に富岡なら、結構。好きにやりたまえ」
「好きにさせて貰うわ」
プロモーターが出て行くのを確認すると由子はメンバー全員に言った。
「これで今日の主役は決まりね」
暗闇。オーディエンスの熱を感じる。それだけではなく、照明とアンプが吹き上げる熱で冷房もようやっと人間が生きて行ける温度を提供しているに過ぎない。また、気分的な熱もある。あまねだけは照明が落ちていてもその美しく愛らしい横顔が丸見えなのだ。
カーツウエルPC3K8の二段重ねからのバックライトの強さと大きさはその華奢で王子様のような姿が丸見えなのだ。由子に着せられた服は男が身に纏う物ではあるが、実は全て女性用のブティックで揃えた物だ。11号の身体を持つあまねには似合わない服を探す方が難しい。
すでにライブステージの前の方にはゴスロリックな女子が埋めている。これはさすがの由子も予想できなかったできなかった。
(でも、悪い事じゃないわよね)由子はほくそ笑む。
レインは右袖に立ち、微動だにしない。彼は愛に満たされているのだ。
ケイスケはステージのためにあつらえた、顔の半分が隠れるほどのミラーグラスをかけている。度が入っているのだが、そんなことに気が付く者が居るだろうか。
アキラはオベーションの六弦を提げ、十二弦をスタンディング・スタンドに用意してある。
今日は二曲だけだ。その二曲で全てはひっくり返る。由子は闇の中で羽織ったコートを脱いだ。セパレーツの水着に近いその衣装は、由子の神に近い姿態を惜しげもなく晒すことになる。構わない。ここが私の戦場だ!
一曲目の"Nothing But The Trues"はカーツウエルPC3K8の上の鍵盤の右手から刻まれたアルペジオ。静かに静かに、囁くように細かいテクニカルかつ正確な透明なピアノの音が響く。そして。
一発。レインのベースとケイスケのバスドラムとシンバルが鳴動する。二発。三発。「行くわよ!廻天百眼!」由子の叫びと四発目が響く。そして22フレットから雪崩のように襲いかかる意識を奪うほどのレインのベースが駆け降りてくる。カーツウエルPC3K8の二段の同時連打によるテーマの中をレインのベースが絡みつく。そこに訪れたのは煌々とした月夜と草原。疾走する野生の馬に私はまたがり、歌う。真実を言葉に乗せて。
真実は絶対に死なない。
それは滅びない。
真実は絶対に死なない。
それが全てだから。
アキラの12弦がかき鳴らされ、土と大地と人の暮らしを歌う。何者にも侵されない当たり前の幸福を歌う。ケイスケのチャイナシンバルは朝日のようだ。歩との鼓動を、命をレインが奏でる。その素晴らしさを。ローランドVK88は発声する音がレスリースピーカーで風を巻き上げる。戦うための困難と悲劇を、人の生命を、生命に代えても守るものを。
ああ、どれだけ探したんだろう
ああ、どれだけ探したんだろう
ああ、どれだけ探したんだろう
遠く離れたあなたの髪飾りを届けるために。
ラストを飾るイントロのテーマが繰り返される。今度はレインもあまねに好きなようにはさせない。蹂躙し、翻弄する。演奏しているときには神のように傲慢になるあまねが、恐怖に怯えている。ケイスケの舌打ちが聞こえてくるようなやけくそのロールが左から右へ、あらゆる音階をたたき落として纏めてゆく。
最後のフェルマータの間、私は意識を失った。それの名は、エクスタシー。
限界まで埋まった会場の見開かれた眼、眼、眼。
拍手もなく、どよめきもなく、悲鳴も聞こえない。そう、こんな瞬間を私は待っていた。
こんな時に、MCなんて必要なんだろうか。
否。そんな予定調和は「廻天百眼」に必要は無い。
必要なのはスリルと緊張、夢と願い。そして圧倒的な暴力だ。