奏でられる重低音──アイソトープ・レインの選択-1
夕暮れが近づいて、陽が沈み始めている。その西日を受けながらアイソトープ・レインはベッドの上に座っていた。
「フィヨルド」に比べてこの世界の太陽は心持ち小さいが、明るさは「フィヨルド」を上回る。それにこれ程までに劇的な雲の変化なない。オレンジ色から濁った紫に、さらに上には紺青の空が拡がる。
朝起きて、由子が置いていったパンと缶詰、奇妙な野菜と果物、やはり飲んだことのない珍妙で派手なパッケージの飲料を摂りながら、レインはずっと飽きずに外の風景を見ていた。
こんな巨大な都市は見たことがないし、あんなに巨大なビルも初めてのことで、夢にすら現れない現象には事欠かない。まして、暗くなるにつれて点灯する色とりどりの照明やネオンサイン、読めないが移動する文字列など、自分の持っている書店にあるどんな本にも記述されていない光景が現実に目の前に広がっているのだ。
これだけ時間が経っても現実感がない。ベッドもこんなに寝心地の良い物は初めてだし、部屋に置いてある数々の操作方法の解らない機械にも触る勇気さえ出ない。
由子に渡された「暇つぶし」の円盤も不可解だ。見たところレコードに似ているが表も裏も平滑で溝がない。
だから、レインはただただ眼前に拡がる風景を愉しんでいた。
足音が近づいて来る。そしてノックされ、鍵が開けられる音を聞いてからレインは後を振り返った。
そこには「フィヨルド」で助け、そしてこの世界に強引に連れてきた少女が現れた、
改めて見ると、天使のような、という形容する以外にはない少女が立っている。金色の髪の毛にピンクとラベンダーの筋の混ざった髪、華奢な細い身体。何よりもどんな美神にも劣らない顔の造形と碧眼。神が居るのなら、特別に注文されたような少女だった。
「ごめんなさい。むりくり引っ張って来ちゃったのに一人にさせちゃって。CDは楽しめた? どれか気に入ったのあった? 私的にはけっこう厳選したんだけど」
「そのCDってこれのことか?」
レインは裏が銀色に光る円盤を手に取った。由子が慌てたように口を押さえた。
「あちゃ〜! 失敗した! レインの『影』にはCD無いんだった〜! そこまで気が回らなかったの。学校、休んじゃえばよかった」
そう言って由子はCDを一枚レインの手から奪い、複雑な操作パネルのある隙間に円盤を差し込む。すると、左右と中央に配置されたスピーカーからとんでもなく美しい洗練された音が流れた。とにかく雑音が全く存在しない。
曲自体もレインの心を鷲づかみにした。なんというスリルに満ちたロックだろう。そもそも、これが本物のロックなのだとレインは直感する。
「レッド・ツェッペリンの『ブラック・ドッグ』って曲なの。私はこれを聴いてロックを始めよう、自分でやろうって決めたのよ」
由子は腕を組んでその可憐な口唇を悪戯っぽく笑みに変えた。レインが下を向いて音楽に集中しようとしたところで、曲が止まった。思わず由子を見上げる。
「聴くのはいつでも出来るけど、弾くのはこれから。さあ、みんな集まっている頃だわ。あなたに恋人を選んで貰うんだから!」