フィヨルドの夜の祭り──逃走と戦闘とその清掃-6
「同士杉野」眼赤視が杉野の倒れた傍らに座り込んでいた。
「今、時間を稼いでいる。逃げよう」
杉野は穏やかな笑いを浮かべる。見たこともない満足した笑みだった。
「その、逃げる力がない。『影』を掴むだけの力が足りない」
「いや、ある。あるんだ、同士杉野」
眼赤視は杉野の右手を掴んで自分の頭に貼り付けるように密着させた。
「傀儡の部屋がある。私の頭の中に。それを掴め! 後は私と傀儡がやる」
杉野は不思議そうに眼赤視の紅い瞳を見つめた。
「怖くないのか? 100万人どころか一億人に強姦されるような物だぜ? それに、失敗したら三人とも死ぬ」
眼赤視の表情は変わらず、いや、かつて無いほど真剣だった。
「あなたは『七月のムスターファ』を統べる者だ。そして『七月のムスターファ』は絶対に死なないのだ! 私の頭の中にある傀儡の手を掴め! 失敗しても後悔などしないと言ったのは他ならぬ同士杉野だ。共に生きると言うことは共に死ぬと言うことだ! 恐れるな同士杉野!」
杉野は瞑った目から傀儡の部屋を幻視した。そしてそれを残った力を全て動員して拳を眼赤視の頭部に潜り込ませ、傀儡の幼く白い掌を掴んだ。そしてもう片手で眼赤視の手を強く握りしめる。
「っ………………!」
「お前だけここに残ろうと思いやがったな馬鹿め。俺を騙すのには百年早いんだよ」
それは不思議な光景だった。燃えさかる戦闘の跡地をバックに、倒れた男の手のシルエットが女のシルエットの頭部に引きずり込まれて行く。そしてその少女の手も男の手に握られて頭部に引きずり込まれ、やがて男女の胴が、足が飲み込まれ、最後に頭部その物が飲み込まれていった。
すなわち、全ては飲み込まれ、消えてしまったのだ。
「七月のムスターファ」が消えた途端、涼子に襲いかかる兵士も正気を取り戻し、あっけにとられ、振り上げた「スタッカート」を振り仰いだ。目の前には兵士に殴られ昏倒した涼子がその象徴である白銀のティアラを血に染めて倒れている。
たちまち兵士達が寄り添った。
「皇姫様、大丈夫でございますか!」
「皇姫様、一体何がおきたのでございますか?」
「おおい、担架だ、担架を持ってこい、いや、馬車か車を回せ!」
喧噪の中で「皇姫」たる少女、三浦涼子は毒づいた。
(やってくれたわね、あの赤毛女………)
ビルの影に隠れて、担架で運ばれる三浦涼子を確認した『村長』照井達也は、顔面を炎の緋色と暗闇の漆黒に寸断させて佇んでいた。
「あ〜あ、酷いことになっちまったなあ。まっさか杉野と先輩が絡んでいたなんて気が付かなかったよ、なあ、伊集院」
片手に持った伊集院のMarc-areを持って、回りに振りかざし、再び液晶画面を見た。
そこにはとぼけた顔をした男が眉を顰めている。
「しょうがねえだろうが。今回開発が遅れちゃったしよ。そもそも『ユニオン』に支部がねえんだもん。リアルタイムで今はリンクしているけどな」
「こんな騒ぎだ。他の『影』にも影響出るだろう」
「ま、地球の日本としては、せいぜい政治家の汚職か芸能人のスキャンダルぐらいにしかならねえんじゃねえの? 気にしすぎなんだよ照井の場合。じゃあ、さっさとお掃除してね」
「するけどさあ、ショッパチ、お前のこと気付いてないぞ」
「そっちの方が好都合なんだけどな。クラッカーは一回ばれたらお終いなんだから」
「今度から『電子技師』って呼ぶぞ。いいか」
ディスプレイで伊集院はぶんぶん手を振った。
「それなら『歩く性犯罪』の方がいい」
「そうかい、じゃあ今度からはそうするよ。じゃ、見ていてくれ」
照井は酒樽の上にMarc-areを乗せて向きを調節する。そして片手に持った「箒」を両手でしっかり持った。
「よっこらしょっと」
二度、三度と「箒」を振り回す。砂埃が渦を巻き、変則的な風に包まれる。見る見る炎が消え、石畳の凹みが盛り上がり、散乱したガラス片や煉瓦、コンクリート、木材があるべき場所に戻って行く。それはまるでフィルムを逆回転させているかのようだった。
五分も経たないうちに、「ツバキ・ファミリア」を含む全ての構造物は完全に復元され、夜独特の静謐さに満たされた。
「ふう、後片付けは大変じゃあ……」