三浦涼子の憤慨──「スタッカート」とフィヨルド議会-2
これは暗号でも偶然でもない。私のことを嗅ぎ回っている下賤な輩の臭いだ。薄汚れた豚共が何かけしからん事を私の知らない所でやっている。急がなくては!
涼子は人気のない庭を早足で歩きながら、両手の指先を瞬かせた。ピアノを弾くように。曲は「パッフェルベンのカノン」。軽快な明るい曲だが、タッチは荒々しい。竹林が収束したように幾本もの岩の塊になり、万里の城壁に変化する。晴れ渡った空は捻れた雲に覆い隠され、砂漠と荒野になり、太陽が恐ろしい速度で沈む。ピラミッドのような階段が豪奢な回廊になり、不可思議で醜悪な装飾に飾り立てられる。
階段を上りきると円形の広間になり、取り囲むように六枚の扉がある。
その一つを乱暴に押し開くと、幾何学的なシャンデリアの下に驚愕を露わにした12人の男達が円卓の前に座っていた。
「……これは。『皇姫』様。突然どのような」法衣を着た痩せた老人が立ち上がる。
「ちょうど良かったわ。ナイスタイミングね。定例議会なの?」
痩せた老人の隣に座った太った裕福そうな商人風の男が口を歪めて立ち上がった。
「こちらも『皇姫』様に進言する相談を終えた所です」男は改めて背筋を伸ばした。
「それよりも、お席に着きませんか?」12人の中で一番若い端正な口髭の男が言った。円卓の一番奥に、背の高い明らかに他と異なる「玉座」とも呼ぶべき装飾が施された椅子が空いている。涼子は颯爽と歩き、玉座に座る。
「ただいま、『スタッカート』製造に関わる女達と共に、隔離され雑事をこなしている女達を解放して頂きたく、議事を進行し、全員一致でこれを認証して頂きたく決議致したものです。是非とも許諾願えませんでしょうか」
涼子はふんと鼻で笑う。
「あなたの弟はなんて言うでしょうね。ニキ・スチュアート。もっとも縁はとっくに切られていますけどね、あれは私の「世界」に所属する私の側近の一人です。すなわち、この街の疫病から人々を救ったのは私という事です。そしてまた、この世界に侵入してきた悪しき者どもを追い払ったのも私の『スタッカート』です。異存はなくて?」
「無論、異存はありません、皇姫陛下。しかしながら疫病も侵略者もこの世から消え去り、時代は変わりました。もはや男女の交わりが厄災をもたらすこともなく、国境の警備もこの一年、ただの一度も問題はございません。この街は平和に戻り、安定しているのです」
「このままでは子供が出来ず、新しくこの世を統べる者が育ちません。厄災以前に国が滅びてしまいます」法衣を纏った老人が震える声で呟く。
黙って聞いていた涼子が薄目を開けて12人の議会を見渡す。
「それについてはもう決めているのです。男女ともに知恵と体技を競い、優れたる者少数を選び、その者達に未来を託そうと。一時は人口も少なくなるでしょう。しかしやがて国はよりよい物となり、栄えることを約束します。これは勅命です」
12人の議員達はざわめき、口々に賛否を口論する。
「それより、裁ち鋏を持ってきなさい。出来るだけ良く切れる物を」
円卓の議員が一斉に沈黙する。
「聞こえなかったのですか?裁ち鋏を私に渡し、この間の馬鹿げた音楽をやらかした者で一番新しく検挙した一名を選んで私の私室に連れてきなさい。すぐにですよ? 良いですね」
「かしこまりました、皇姫様。しかし、先ほどの勅命については議会の審議にかけたいと希望しますが」ニキ・スチュアートと呼ばれた若い男が言った。
「服従を前提とした言葉。それを『勅命』と言うのです」
涼子は立ち上がると、円卓の議会の部屋を出て行った。
そのまま、ホールの左から二番目の扉を開く。そこには華やかな中にも落ち着いた気品が感じられる調度が揃っていた。
涼子はその中の居心地の良い椅子に座り、頬杖を突く。
やがて女性の家臣がやって来て、暖めた紅茶のポットとティーセット、そして新品の裁ち鋏を乗せたトレイを持って、うやうやしくテーブルに置いた。
紅茶を味わいながら少し待つと、扉が開き、衛兵に挟まれる格好で、薄汚い作業服を着た男が引きずられるように涼子の前に連れてこられる。両手は後ろ手に枷を嵌められ、両足は鎖で一つに繋がれていた。
「ご苦労様、あなたたちは退いて。用があったらお呼びするわ」
涼子はカーネーションのように華やかで清楚な微笑みを浮かべて二人の衛兵に言い渡した。
二人の衛兵は敬礼をしてから胸に斜めの十字を切り、部屋から出て行く。