音楽兵器の幻想──喧噪の酒場にて-2
眼赤視は瞳を開けて、厨房そばのテーブルを見て頷き、再び瞳を閉じる。
「馬鹿言うな。あれは『フィヨルド』の議会を掌中に納めた『皇姫』が別の『影』から持ち出して来た物がオリジナルだ。ただ『フィヨルド』で研究所も無しに女達に量産させているって事は、それほど精緻な物ではないという証拠だ。ただ、打鍵した部分に「何か」がある。それもまた『フィヨルド』の物質らしいんだが、どうもそれを見つけた場所で完成させ、短絡して使ったらしい。……とにかくそのサンプルを手に入れるために情報部は知っての通り大騒ぎだ。/女達が作る、なるほどな。どうりで男ばっかりの街だと思った。/おいおい、『村長』、お前『フィヨルド』に行った事があるのか?/当然現場は見てくるさ、俺の『箒』は雲か霧があればどの『影』にも行けるからな」
杉野は思わずそっちに目を移す。照井の傍らの壁には今にも朽ち果てそうな「箒」が一本立てかけられてあった。眼赤視は半ば目を開けてトランス状態になっている。杉野は眼赤視の頬を叩いた。ぶるっと身震いをして眼赤視は大きな紅い瞳を見開く。
「いってえじゃねえか、なにすんだよ同士杉野」
「あの『村長』の脳みそから『フィヨルド』の風景をかっぱらえ」
「んな、無茶だよ。あの『村長』を乗っ取って傀儡に私の意識を押し込ませるんだよ? やった事ないし、リスクが高すぎる」
「やれといったら、やれ」
杉野が目を細めて酷薄な口唇を引き攣らせて笑う。この男が今、非常に危険な状態にあることを眼赤視は悟る。
「失敗しても文句言うな。それに見えたことを映像に出来ないよ? 言葉で言ったことに意味はないよ、お伽噺と同じになっちゃう」
「心配するな。俺の拳を何だと思っている」
「………それって、私の頭に突っ込むって事、に、なるのよね……百万人に強姦されるようなものじゃない」
「下卑た比喩はやめろ。大丈夫、前に一回やった事がある」
「その『悪ふざけ』で学校を放り出されたんじゃないの?」
「ま、それも含めてだがな」杉野はにやりと投げやりに笑う。
「……この、悪党」そう言うと、眼赤視はぎゅっと拳に力を込めて顔をしかめて黙り込んだ。
たちまちこめかみから汗が流れて顎からこぼれ落ちる。限界までの集中が眼赤視の全身を細かく震わせた。
暗闇の中に穴が開いたように『村長』と呼ばれる男の横顔が見える。それがどんどん拡大されて行く。拡散する血と灰色の蜘蛛の巣の模様の中に眼赤視は押し込まれる。傀儡の指が何十本もそこで蠢いていた。そのある意味物理的な空間を眼赤視は「視る」。学校の校庭や緑に溢れた道、老人の優しそうな微笑みと苔むしたつくばいに鹿威し。学生の喧噪と赤い眼鏡の軽薄そうな男。古ぼけて汚れた廊下、奇妙な暗灰色の髪の毛は後でひとつに編み込まれている。十二星宮の下着と天使の微笑み。赤い提灯と酒が入った杯からは甘く苦い味が眼赤視の喉を焼く。いけない、それは必要ない。眼赤視は味や感触を切り離す。そして雲。大きな積乱雲と疾走する霧。石畳の道と男達ばかりの雑踏、そして瓦斯灯と人気のないビル街。
ふう、と眼赤視は涙に溢れた瞳を半眼にする。頭から水を浴びたようにびっしょり濡れた身体にうんざりする。
「見つけた、わ。多分ね……」