知識と力と采配──「ロイス・ベル」の乗客の密談-1
詩音と由子は通称「お化け会館」と呼ばれる廃倉庫の前に佇んでいた。五時とはいえ季節柄、日は長い。
壁にもたれて静謐な雰囲気にある詩音とは対照的に、由子はやたらと気ぜわしくちょこまか動き回る。口もそれに同期するように騒がしい。
「ん、もう五時七分じゃない、弁護士って時間に厳しいんじゃない? そういう仕事でしょ? なんでこんなに時間に遅れるのよ、もう!」
ふくれっ面の由子はそれでも美しさに拍車をかける。「可愛らしい」という要素が盛り込まれるだけなのだが、白い百合に金のティアラを被せたような姿はより輝きを増す。
「時の刻みは由子だけのものじゃないぜ」
「詩音、あんた、背中が煤けてるぜ」
「……やめよう、お互いに恥ずかしくなる」
その時、玉川上水沿いの道から野太い排気音が近づいてきた。塀の角から豪奢なフロントグリルが覗く。
「…『ロイス・ベル』か。あの大きな車体であの角を曲がれるのか?」
詩音は顔を上げて左目で凝視すると、塀と「ロイス・ベル」の側面が一瞬ぼやけた。溶けた絵の具のように長大な車体が角を曲がってくる。
「なあに、あれ? なんかの魔術? トリック?」
「……『影』を極めて部分的に操作しているだけだよ」
やがて詩音と由子の目の前に、全てのガラス部分にスモーク・シールドを施した漆黒の車体が滑るように止まる。ドアが六枚もあるリムジンだ。『影』を自在に行き来する全ての影で唯一の車体「ロイス・ベル」。片側三枚のガラス窓の一つが音もなく下に下がり、冷徹な狐目とポマードで固めた黒髪が覗く。まばらな口髭が動いた。
「…とりあえず乗れよ」
開かれた真ん中のドアに二人は身体を滑り込ませた。なんと、運転性のベンチシートを除いて、向かい合わせになった革張りの座席の間にはウオールナットの細長いテーブルまである。ちょっとしたオフィスだ。冷蔵庫とおぼしきボックスやその上には古めかしいダイアル式の電話器まで備え付けてある。テーブルの上にはノートパソコン。