悦子-14
毎回原稿は早々に送りつける栄一だったが、今回は締め切りギリギリになってしまった。それは何とか悦子の頼みに応じて1つ新作を入れたかったからである。
『仰向けに串刺しにされて君は言う お願いだから電気を消してと』
これでは余りにも品が無い。岩野抱鳴の私小説だってもう少し品がある。
『1つだけ1つだけと言いながら 歯形をあまた付けられた君』
これはいくら何でも短歌になっていない。
『白い服白い下着と剥ぎ取れば 白い素肌がほんのり紅い』
まあこんな所で妥協しよう。これ以上はどう頑張っても栄一には作れない。これならどうにか短歌らしく見えそうな気がする。これ1つ作るのに偉い時間が掛かってしまったのである。これにノートから旧作を加えていつもの通り5首にして送れば良い。
『ゆらゆらと揺れる灯りの片隅の ヌードダンスの胸の十字架
酒煙草娼婦男娼咳欠伸 マビニの夜に毒が漂う
余りにもああ余りにも美しい 君の心を僕は悲しむ
ゆるやかにうねる腹部に口付けて ああ今日も又陽が落ちて行く
白い服白い下着と剥ぎ取れば 白い素肌がほんのり紅い』
便箋に書き上げて読み通してみると前の4つが旧作で最後の1つが新作だという感じはしない。俺のレベルは変わっていないんだと思った。そもそも最初からレベルなどというようなレベルでは無いのだし、年取ってもそうそう人間は変わったりするものではないのである。そういう意味では上手いか下手かは別にしてやはり人間性が現れているのだろう。
いつもより少し多い1万5000円を同封したのは雑誌という公器を悦子との間の私的通信に使うような感じがして、そんな後ろめたさがそうさせたのだろう。最後の歌は悦子のことを歌ったものであることが彼女には分かる筈だと思っていたのである。
それから1ヶ月ほどすると新しい雑誌が来るよりも前に悦子から連絡があった。前回同様土曜の夜に来ると言う。今度はあんな高価な物でなくてお新香とかスルメとかで結構ですからと言ったのは、今回も又酒を飲みながら迎えるのだぞ、するとその先どうなるか分かるだろうな、と仄めかしたつもりであった。悦子はそんなことはつゆ知らぬ気にさわやかな声で「分かりました」と答えた。
悦子は前回同様の長いワンピースを着ていたがまるで礼服のような黒だった。
「何処か葬儀にでも寄ってきたのですか?」
「え? この服ですか。そういう訳ではありません」
「まあ、お上がり下さい」
「野沢菜漬と私の叔母が作ったみそ漬けを持参致しました」
「ほう。手作りのみそ漬けですか」
「はい。お口に合いますかどうか」
「近頃はコンビニになどに行くと何でも手作りという宣伝文句ばかりで厭になる。この間は手作りメロンパンなんていうものがあって、なんじゃこれはと思ってしまった」
「どんなメロンパンなんですか?」
「いや、普通よりやや大きめで少し高い。確かに美味かったけれどもああいうものを手作りと言うのは、ちょっと言葉の使い方がおかしいような気がする」
「どうしてですか?」
「本来オートメーションで機械がポコポコ自動的に作っていく物を手作業で作る場合を手作りと言うのであって、パンなどというものは手作業で作るのが本来の姿だと思う。それを手作りなどと言われると、それじゃ他のパンは足作りなのかと言いたくなってしまう」
「なるほど。でも今はパンも機械で自動的に作っているのではないでしょうか」
「そうかな。そうだな。いちいち手で作っていたら全国のコンビニに配布できる程大量生産は出来ないな。しかしそうすると、その手作りメロンパンだって機械で作っているに相違ない。そのためにパン作りの職人を増やしたりは出来ないだろうから」
「そうですね。手作り風というだけで、恐らく機械で作っているのでしょうね」