三人と物売りとブリキ缶-2
美食家は焼け焦げて行く屋敷から、命からがら逃げ出した。上等の服は煤にまみれ、ただのぼろ布となっていた。美食家はそれから丸二日間町をさ迷ったが、口に出来るものは一欠片のパンも見つからなかった。
空腹でもはや歩けない美食家は、ぺたりとその場に座り込んだ。気が付くと、そこは三人で『最も恐ろしい事』について話した、あの大通りだった。
「あぁ、そういえばあの時物売りが言っていたなあ…。今日食べる物が無いならば、きっと私はもう生きられない…。」
美食家がぼんやりと下を見ると、でっぷりと前に突き出た太鼓腹が呼吸に合わせて揺れていた。そして自分の手をみると、高級なウィンナーに負けず劣らずの丸々とした指が手の平にくっついている。
「こんなに空腹なのに…なんだこの体は。昔食べた肉が私の体になったのなら、この私の肉を食べても私に戻るだけなんじゃないのか…。」
美食家は丸い指を見つめ、意を決すると大きく口を開け、そしてゆっくりと指に近付いた。
「如何ですか?私のお話した意味がおわかりになったでしょう。」
美食家がゆっくりと顔を上げると、目の前にはあの物売りがブリキの缶を閉じてからこちらを見た。
周りを見渡すと、大通りは人で賑わい活気に満ちあふれている。美食家が隣を見ると、貴婦人は悲壮な顔でドレスの裾を破き、商人はひたすら財布の中のお金を投げ捨てていた。様子が変わっているのは自分達たった三人だけで、後は物売りに声を掛けたあの瞬間から何も変わっていないという事を美食家は知った。そして貴婦人と商人もその事に気付いたようで、ただ茫然と顔を見合わせた。
「お楽しみ頂けましたか。これは未来が見える魔法の缶なのです。皆様に少しだけ未来をお見せしたのですよ。」
物売りは小さなブリキの缶を撫でながら小さく笑った。
「み…未来が…。」
呟くと貴婦人はその場に崩れ落ちた。美食家は茫然と歯形の付いた指を見つめている。
その時、商人が勢い良く立ち上がると物売りに財布を差し出した。
「物売りよ、この財布の中身を全てやるからその缶を私におくれ。」
「そんな、是非私にも。」と、後れをとらぬよう美食家も指輪をいくつも差し出した。貴婦人も宝石の飾りの付いた扇を差し出した。
物売りはゆっくりと三人を見回すとふっと笑った。
「たったそれだけで、この缶を買いたいと?馬鹿馬鹿しい。もう今日は店仕舞いのつもりなんですよ。」 そういうと物売りはせっせと商品を片付けていく。 「待ってくれ、金ならいくらでもあるんだ。少し待っていてくれ。すぐにとってくる。だからここで待っていてくれ。お願いだ。」
商人がそう言ったのをきっかけに、美食家も貴婦人も屋敷に飛んで帰った。そしてありったけのお金、宝石を全て布の袋に詰めると、三人とも迷わず物売りに差し出した。
物売りは中身をじっくり確認すると、あのブリキの缶を取り出した。
「金額としては足りない気もしますが、まあ良いでしょう。お売りします。」
三人は喜びのあまり、お互いを抱き締めながらその小さな缶を受け取った。
「それでは。」と、物売りは小さく挨拶すると、お金や宝石がたっぷり詰まった袋を引きずりながらその場から立ち去った。
小さくなってゆく町を背に、物売りは呟いた。
「だから、やめられないよ。」
背中に掛けた麻袋が歩調に合わせて揺れると、いくつも詰まったブリキ製のキャンディーの空き缶が、カチャカチャという小気味よい音をたてていた。