プロローグ-1
妻との出会いは行き着けのバーだった。だいたい客がいない時間を選んで立ち寄るのだが、いつも深夜になる。会社勤めだった頃は翌日の業務に差し支えないように遅い時間は控えていたが、自営で、しかも個人で働けばそんな心配もしなくていい。みんなと力を合わせて、足並み揃えてというのが苦手な私には会社は向いていなかったのだ。
バーのマスターからもよく言われる。
「お前はリーマン向きじゃないよ」
それは本当に正解だと思った。そんなわけで自営になってから行き着けに通いつめる時間帯もめっきり遅くなり、その日は夜中の３時だった。１時間も飲めば店仕舞いだ。片付けを手伝えば少しだけ安くしてもらえる。いつもの調子でドアを開くと、すらりとした長身の美人な女…と、鼻の下を伸ばしたマスター。それが最初に見た妻だった。ハッとする程に美しいがどことなく近寄りがたい空気を醸していた。だがそんな近寄りがたい空気とは裏腹に、話してみると意外にも気さくでノリも良く、会話が弾んだ。実は妻も常連だったのだが、後日マスターから
「彼女が最初から心を開くなんて珍しいぞ。他の客が話しかけてもまず無視されるんだ」
と言われ、私は30に手が届きそうな歳にも関わらず有頂天になってしまった。それ以来、私は時間を見つけては夜中の3時に妻に会うためにバーへ通った。
会って2回目で妻の名前を知り、3回目で連絡先を交換し、妻が私より５歳も若いことが分かった。
出会って2ヶ月で私たちは交際を始め、そこで初めてＭ性感のデリ嬢をしていることを、意外にもあっさりと告白された。こんなにも美しい女がデリ嬢をする意味が理解できなかった。しかし心のどこかで、なるほどな、と妙に納得できたのだ。それでも私は螢子を軽蔑することはなかったし、別れようとも思わなかった。
「何でだろうね。初めて会った時にあなたとは波長が合いそうって思ったの。私はＳだしＭな男を苛めるのが好きなのには変わりないんだよ。あなたがＭじゃないのは分かるのに、何でだろうね」
螢子自身も私との馴れ初めの理由が分かっていないようだった。
私も妻がＳだとしても日頃から女王気取りではなく、一緒にいて気を使わなくていいところが好きだった。生理の時だけストレスが溜まるのか、発散するかのように私を苛め、弄んだ。少しずつＭの楽しさを覚えてきた私だったが、決して妻に酔狂したり、服従や神格化をしたりということはしなかった。妻が従来付き合ってきた男はそれで駄目になっていたようで、波長を合わせながらも堕落しない私を信頼した妻は、交際1年にして結婚を求めてきた。かなり大雑把だが、これが螢子との馴れ初めだ。
結婚してからもふたりの関係は良好だった。螢子もデリ嬢を辞め、真っ当な生活をめざしてくれた。だが、結婚生活が1年経過した頃、私の体に異常が発覚した。子供を欲しがった私たちは１年間ほとんど毎日愛し合ったにも関わらず、子供ができないことに疑問を持った。検査した結果、不妊の原因は私だった。治療するにも保険適応外なので金額が物凄いことになるのだ。夫婦で話し合った結果、治療費を稼ぐため、妻がデリ嬢として復帰することになった。
そして、私たち夫婦の関係にも少し変化が生まれた。生理中に妻が私を苛める時、種無しやATMなどと私を罵るようになった。妻も生理が終わると自分の発言を後悔して本心じゃなかったと謝罪してくるもだが、これは仕方のないことだと諦めた。決して恵まれた子供時代ではなかったのだ。デリ嬢をしていたとしても、いつか平凡でも信頼できる人と一緒になり、子供を授かり、家庭を築きたいと思っていたのだ。どこかで責めないと我慢できないこともあるのだろう。
むしろ私のせいで妻が他の男の性欲処理になることが申し訳なく、私からも謝罪した。
妻の気持ちを受け止め、少しでも早く治療に専念することが妻のためなのだと言い聞かせる日々を送る覚悟だった。
しかし妻は、
「デリのことは気にしないで。私、男のチンポ弄るの好きだから」
と、あっけらかんとしたものだった。